再生医療への期待と不安

 中絶胎児の細胞を利用して病気や障害を治療する研究が進められている。日本では、実際に胎児の細胞を培養して研究を行っている機関は、大阪に1ヶ所有るだけだという。公的なルールが定まらない現状では、どこまで進めてよいものか手探り状態のようである。
 
 番組では、網膜色素変性症のアメリカ人女性が、胎児細胞の移植手術を受けて、殆ど失っていた視力を取り戻したケースが紹介されていた。網膜の病気については常に不安を感じている(現在は何ら不自由があるわけではない)私としては、このような方法で網膜が再生できるのなら・・・と大いに期待してしまう。
 この女性の場合、手術後もなかなか視力は出ず、半ば諦めかけた6ヶ月後から徐々に光を取り戻したということだ。ちょうど『くらやみの速さはどれくらい』の主人公が辿ったプロセスを連想させ、興味深かった。彼女の眼球と視神経で、その6ヶ月のあいだ、どんなことが起こっていたのだろうか?


 中国では、医療に対する規制が厳しくないこともあって、中絶胎児の細胞を利用して脊髄損傷やALS患者に対する移植手術を行っている先駆的な医師がいる。世界中から手術希望者がやってくるというが、効果のメカニズムや安全性についての説明が不十分との批判も受けている。因果関係は不明とは言え、手術後に亡くなった患者もいるそうだ。それでも、これらについては他に治療の手だてがない以上、手術を望む人は続くだろう。
 
 私は個人的に、いま現に生きている人間の苦痛や悲惨さの解消には最大限の手段が尽くされるべきだと思うので、たとえ人間の胎児であろうといったん中絶されてしまったのであれば(脳死者からの臓器移植は全く別問題)、「利用」することも考えられて当然だと思っている。だが、そこになんの「おぞましさ」も無いかというと、もちろんそんなはずはない。
 
 手術後、病室を訪れて「調子はどうですか?」とにこやかに問いかける医師に、まだこれからどうなるかわからない患者がかすかにうなずく。そこだけがSF小説の領域に、間違ってはみ出してしまったような気持ちの悪さも感じた。