この世の不思議だけでじゅうぶん。


薔薇の木に薔薇の花咲く、ふしぎな5月。我が家のエヴリンです。

  • 佐藤愛子『冥途のお客』(光文社)『私の遺言』(新潮社)読了。


 私がずっと持っていた「佐藤愛子」のイメージからすれば、心霊現象なんていうものを最も信じそうにない人のひとりと言っても良かった。むしろ、この人の前で幽霊話なんかしたら叱り飛ばされそうな感じがあった。そんな佐藤氏が、北海道に建てた別荘でさまざまな怪現象に見舞われていると知ってからずいぶんになる。


 今回たまたまこれらの本を読んで、それがじつに約30年間も続いているということに驚いた。そして、彼女が自分の身に降りかかった出来事を受け入れるために「霊の存在」というものを信じるに至ったということも更なる驚きだった。


 さいきん出たほうの『冥途のお客』を先に読んだのだが、彼女がなぜ心霊という考えを受容するまでになったのか、もうひとつ腑に落ちなかった。また江原啓之という人(名前には聞き覚え有ったものの、この人物について私は何も知らなかった)にかなり心酔しているようだが、なぜこの人の言うことを信じたりするのかも不思議でならなかった。そこでさかのぼって、『私の遺言』も読むことにした。
 でも結局「なんでこんな人たちの言うことを信じられるのか」という点については納得いく材料がなかった。佐藤氏もあれだけ理の勝った人なので、客観的に「ここまで読んでこられた読者は、このあたりでさぞかしうんざりされたことだろう」「なぜといわれると私には人を納得させる返答は出来ない」とも書いている。にもかかわらず、奇怪な現象や身体的苦痛に襲われ続けると、誰がどう言おうと「霊」の存在を認め「霊能者」の言うことを信じるしかなかったのだと強調されている。


 佐藤氏はドクターショッピングよろしく、何人もの有名な「霊能者」といわれる人々と(おそらく藁にもすがる気持ちで)次々に接触している。私がこの2冊の本を読んだ限りでは、江原啓之をはじめとしてここに登場する「霊能者」なる人々の言っていることは、良く言って「口が巧くてやや誇大妄想と自己陶酔の傾向のある人種」悪く言えば「単なる詐欺師」のセリフに思えてしかたない。それをしも信じ、あれやこれやの儀式に奔走するに至った佐藤氏の心理状態はおそらく私の想像を超えたところにあったのだろう。
 『冥途のお客』によれば、佐藤氏の北海道の別荘では、程度こそ軽くはなったものの依然として不思議な現象は起きているという。「霊能者」たちの指図や繰り返されたさまざまな儀式に果たして効果があったのかどうか。


 佐藤氏が見聞きし経験した現象が、すべて気のせいや思い違い・行き違いのたぐいだったとは言い切れない。この世には確かに不思議なことがある。私自身はそういう不思議な現象や出来事にはほぼ無縁であるが、どちらかといえば「今の科学では説明できない」「人智を越えた」何かは存在するんだろうと考えているほうだ。
 佐藤氏は体験を通して自分なりに学んだという「霊界」の仕組みなどを一生懸命に説明しているが、私はそんな「死後の世界」がどうこうというよりも、あの佐藤愛子にすら人生観を激変させてしまうぐらいの出来事が起きるこの世の不思議、のほうがすごいと思う。それは口の巧いひとがまことしやかに説明してくれようがしてくれまいが、毎日確かにそこに存在する事実としての不思議さだ。


 佐藤氏が菩提寺に相談したところ、死後の世界を認めない曹洞宗であるためマトモに取り合ってくれず「あまり気になさらない方がよろしいでしょう」と言われたそうである。他に何か言い方はなかったのだろうか(笑)。
 もっと面白かったのは、色川武大のエピソード。ナルコレプシーの持病があることで知られていた色川氏には、ドッペルゲンガーがたびたび出現していたということである。突然眠りこんだように見える状態は、実は幽体離脱していたのではないか?という仮説はちょっとゾッとさせると同時にとても魅惑的だ。