選ばれなかった世界では

小林泰三『奇憶』(祥伝社文庫)読了。


 ズルズルと破滅的にダメ化していく主人公に、いたたまれぬほどの共感と近親憎悪を感じつつ読みました。この部分、描写がくどすぎませんかっ?なんか著者の悪意というか底意地の悪さが出ているような。だいたいこの人の書く物は、どこか冷笑的な感じがします(そこに心惹かれるのだ)が。

 子供の頃の記憶をすみずみまで味わい直すことでしか生きられなくなった主人公が、その記憶の中に奇妙な点があることに気づき、やがて並行世界の存在と自らの選択に関わる怖ろしい秘密を知るという話。先述の、ダメ男な主人公の生活が描かれる部分の典型的通俗っぷりと、量子力学云々からクトゥルー世界へ繋がるスケール感(?)との落差が可笑しくもあり、また眩暈をよぶ。眩暈といえば、著者インタビューで「酔歩する男」との共通点が言及されていたので、いよいよあれも再挑戦せねばなぁと思った。

 ところで子供の頃の記憶のおかしな多重性ということで思い出すのは、私が小学生当時住んでいたマンションでのこと。朝の登校時、304号室Aさん宅から出てくる眼鏡をかけた背の高い男性をしばしば見かけた。数年後、なんの話からだったか、その男性の人相風体を説明したところ、母から「その人は303号室のBさんのご主人よ」と言われてビックリした。303号室と304号室は横並びではなく向かい合わせなので、見間違う可能性はまず無い。母だけでなく誰に言っても「それは勘違いでしょ」と言われたし、私も今では「たぶん勘違いだったんだろうな」とは思う。こう書いてみるとつまらない話です。でも世界がどこかの時点で別モノにすり替わったんじゃないかという感覚には、そんな理由もあってなんとなくシンパシーをおぼえる。