戦争と家と女流作家

文豪怪談傑作選 吉屋信子集 生霊(いきたま)』(東雅夫編/ちくま文庫) 読了。


 吉屋信子と言えば、なにはさておき『花物語』である。しかし、私にはそれに次いで“普請道楽”という言葉がどうしても思い浮かぶ

 庭とインテリアの雑誌、『私の部屋BISESビズ』*1に連載されていた「日本を知りたい」というシリーズの、第23回として吉屋信子の家が取り上げられていた(文:中村好文 撮影:藤森武)。鎌倉市吉屋信子記念館として一般にも公開されている建物である。
 信子は、数寄屋建築の大家である吉田五十八氏に自宅の設計を3度も頼んでおり、それを含めて生涯に8軒も家を建てた、「普請道楽」であると中村氏は表現している。記事には、ひろびろとした芝生の庭を擁する格調高い日本家屋の、派手なところは一切ないけれどあるじのモダンな好みが反映されたディテールの幾つかが、写真で紹介されていた。その堂々たる佇まいから、私は『花物語』の嫋々とした世界とは全く別の強い印象を受けたのだった。今回この本の「文豪怪談」というシリーズ名を見て、あの立派な邸宅は少女小説家じゃなく「文豪」のお屋敷だったんだ、と納得(?)できるようなおかしな気持ちがした。


 そんな気持ちで読んだせいか、この短篇集の中にも家屋敷に関する描写やそれらに対する心情のようなものが出てくる部分が気になった。

 中でも「黄梅院様」は、東京への空襲で《一生住もうと思って設計家Y氏を煩わしていろいろ考えて造った家がみじめに灰の山となり》、一旦はもう東京に家など持つ気が失せたはずの「私」が、幾年か経つとやはり不便な疎開地生活に倦んで、東京での新しい住まいを物色していたところへ持ち込まれる曰くありげな物件の話。失った住まいへの愛惜と空しさ、理想的な住まいを手に入れたい執着心が描き込まれている。また、十二坪以上の家は建てられないという建築統制のため、焼け出されて新しい家を建てたくても思うに任せない人々、いっぽうで斜陽族が邸宅を手放し、またそれを間に立って口利きする人あり、という戦後の住宅事情が具体的に反映されてもいる。
 二つの土蔵と巴旦杏の木があるというのに強い魅力を感じて、一時は借金してでも手に入れたいと思いかけた問題の屋敷には、じつは幽霊が出るという噂があった。そのうえ由緒正しいお茶室はなんと防空壕がわりに地下へ埋め込まれ、巴旦杏も枯れて今はないと知り、「私」の熱は急速に冷めてしまう。折から建築統制も緩和され、けっきょくその屋敷を購入する話もなくなってしまってから、後日談のように幽霊話の種明かしがされる。“怪談”としては少々あじけないオチがついているだけに、よけいに「家」への思いをめぐる物語としての印象が強く残る。


 他にも、表題作「生霊」で、建具職人の主人公がひと気のない冬の別荘地で他人の別荘へ入りこみ、間取りを確認したり、不具合の出た箇所を勝手に手直ししたりする様子、几帳面に自炊(笑)するその手つきまでが何となく“屋敷愛”の現れのように思えなくもない。
 また「生死」では、富裕な家に生まれ育った主人公が自分用の離れとして洋館を建てさせ、美術品や蓄音機、書籍で飾りたてる。南方の戦地で自決(?)し、霊となって(?)帰郷した彼は、ちゃっかり自分に成り代わってその洋館で椅子に掛けている従兄弟の姿を窓からのぞきこむ。主人公の視線に気づいて従兄弟が《名状し難い恐怖に、醜いほど顔を歪め、口をあけて何事をか叫びながら》後ずさりするという場面は、なんだか楳図かずおチック(^◇^)。自分が死んで霊になる(?)ときにはわりあい諦めの良かった主人公なのに、従兄弟が大切な書斎を占領していることに気づいて激しい不快と怒りを表明するところが面白い。
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