思い描かれた1980年かそこらへんについて

 saltwatertaffyの日記 - 『崖の館』『水に描かれた館』

 まさにここに書かれている《76年から84年のいずれかの時期》というよりそのド真ん中で高校生だった私、しかもそれなりに読書好きだったはずの私ですが、まず佐々木丸美という人そのものを知らなかった。今回の[復刊ドットコムでの盛り上がり→著者本人の死去→復刊]の経緯を眼にするまでその名前すら聞いたことがなかった。書影などを見ても、これといって記憶が甦るということもないので、ほんとに見聞きしたことがなかったとしか思えない。

 saltwatertaffyさんの思い描く1980年周辺に於いて最も不思議なのは、《もちろん「キス」じゃなくて「ベーゼ」》というくだりで、私の同年代の高校生女子で「ベーゼ」なんていう言葉を使っている人を見たことがないのは勿論のこと、そもそも知っている者もほとんどいなかったと思うのだけど、佐々木丸美さんの本には出てくるんでしょうか?私から見ると、むしろなんだか戦前〜戦中のセンスというか、女子高生じゃなくて「女学生」が生息していた頃の用語のように響くのだが・・・つまり私たちの“伯母”の世代(母はギリギリ戦後の新制中学の世代、わずかな歳の差で旧制の「女学校」へ行った人たちとはカルチャーが大きく異なると聞かされてます)。
 ・・・と思っていたらこれも私の錯覚で、どうやら1950年代に若者の間で流行った言い回しみたいです。(→こちらとか→こちら
 いずれにせよ、《76年から84年のいずれかの時期》というのは今とは違って、ちょっと古めかしい言葉や物を「レトロでお洒落」と捉える感覚は未だほとんどなく、古くさいものはあくまでも古くさいとしか感じない時代だったので、たとえ知っていたとしてもそんな言葉をわざわざ使う女子高生というのがどのような種族なのか、想像しにくい(つまり、何らかの典型としての「彼女」が頭の中に描けない)。なんだか佐々木丸美の読者というのはものすごい変わり者だったみたいに思えてくる。じっさいには数多くの熱心な愛読者を獲得していたわけだからそんなはずはないだろうけど。

 もしかしたらsaltwatertaffyさんから見た1980年前後は1950年代(やらその他の近過去)といくらかゴッチャになっており、私も戦前と戦後をゴッチャにしていたわけで、後の世代から想像する「過去」は、とんでもなく変なふうに時間の圧縮がかかってしまうことがあるのだろう。戦国時代と幕末が同居している時代劇みたいに。

 いや、そうじゃない。だいたい佐々木丸美を知らなかったくらいだもの、私の知らない別の1980年がどこかにあったに違いない。そこではきっとリプトンやトワイニングではなくて日東紅茶がメジャーだし、普通の女子高生がすでに「〜だよねー。〜って感じー」という口調を獲得しているのに対し、文学趣味の女子高生は未だにキスのことをひそかに「ベーゼ」と呼んでいたのだ。私が通らなかったほうの1980年では。