怪異好きな女(あるいはむしろ怪異な女)

 昨年8月に藁にもすがる気持ち(笑)で書いて何の反響もなかった、「泉鏡花の小説の空間が分かりにくい」という話に、思いがけずコメントいただいたのが、半年以上経過した今年4月のこと。訪問してくれたかたも、やはり同じ鏡花の小説を読んで分かりにくく感じ、あれこれ探してたどりつかれたようです。お役には立てなかったけれど、似たような悩みを持った人が現れたことで実はちょっとホッとしたような。(嬉しさのあまり、上記8月の記事にも少し補記しました)


 そんなわけで、ブツブツ文句だけ書いて放置していたこの問題をもう少し進展させるべく、図書館で本を探してみました。泉鏡花研究会が定期的に出しているらしい、『論集 泉鏡花』などという本格的なシリーズも含めいろいろな研究書もあり棚はなかなか充実。でも問題の「高桟敷」は『小説幻妖』が取り上げただけあって(?)おそらく鏡花のなかでもマイナーな作品なんでしょう、この作品を論じている文章というのがなかなか見あたりませんでした。
 ただ田中貴子さんの『鏡花と怪異』という本があったので、直接「高桟敷」への言及はないにせよちょっとは関わりのある記述が見つかるかも、と思ってとりあえず借りてみました。これは研究書というよりも一般向きの評論なので、読みやすそう。それと著者を田中優子さんと暫し混同していたことを告白しておきます・・・


 ところで先日にひき続き強引に小さな偶然の符合を見いだしてみるのですが、5月9日に読み始めたこの本、序章は《五月夜や尾を出しさうな石どうろ》という鏡花作の俳句から始まってます。そこでまず、「おや、これは5月に読むにふさわしい始まり方だわ!」と感心、さらにふと思いついて「本が出たのはいつだろう」と奥付を見ると、なんと発行日が二〇〇六年五月九日、ちょうど昨年の同じ日。これも巡りあわせ、私にとっては絶対なにか意味ある巡りあわせ。