のっぺり続く例外状態

  • 『戦争×文学 次世代フォーラム』奥泉光×華恵×高橋敏夫トークライブ(9/25 ハービスHALL)


 行ってきました。《集英社創業85周年企画》として発刊中の全集『戦争×文学』について語るという催し。もちろん奥泉さん目当てだったのだけど、華恵さんのきびきびと的確な発言にも感動。まだハタチなのに何と眩しい知性…

 全20巻のこの全集には約300作品が収録されているそうだが、その選定に当たってはサイトの解説に《およそ15,000作品を調査》とあるように、編集委員の高橋氏や奥泉氏もそれぞれ数百から1,000もの作品に目を通したとのこと。その結果、「これも戦争(文学)だったのか」と華恵さんが感想をもらされた重松清『ナイフ』のように、従来の戦争(文学)の定義からは思いつかないような作品が選ばれ、「戦争」とは何なのかということ自体が問い直されるような全集になっているようである。


 高橋氏から、こんにちの戦争が幾つかの点で従来の輪郭を失いつつあるという分析が示された。国家対国家という戦争の枠組みが曖昧になり、(アメリカが終結宣言を出してから何年も長びくような)いつ始まっていつ終わるのかもわからない時間軸上のあやふやさ、遙か遠くから電子機器で攻撃が行われるという空間上の区切りの無さもそこに加わる。かつては非日常的などこかに限定されていた「戦争」が、いつどこにいてもふいに日常へあふれ出してくるような不安と恐怖が、現実のものになっている。


 奥泉氏は第5巻「イマジネーションの戦争」の編集方針や内容に触れながら、SF作家として愛読していた小松左京の作品を読み返してみて、戦争に関わるすぐれた作品がたくさん書かれていたことを再認識し小松を見直したとのこと。私も、先日小松の恐怖小説集を読んだ時に、彼が戦争体験に強くこだわり続けていたことを感じたのだが、それだけでなく、小松は「あの戦争を忘れてしまっていいのか」ひいては「戦争はどこかでまだ続いているのではないのか」というところまでおそらく書いていたのだ。未読の小松作品をあと幾つかは読まねば…という気持ちがさらに高まった。先ごろ出た『3・11の未来 日本・SF・創造力』にも小松左京(の先見性)が詳しく取り上げられているようなので、これを読むのも楽しみ。


 それと並んで、きょうのトークを聞いて“ぜひ読まねば感”が強まったのは、やはり伊藤計劃の諸作。「戦争の日常化」どころか、戦わないことが本当に平和なのかもわからなくなってしまうほど極限を描いているらし。いつ読むかにはこだわらない主義だったけど、タイムリーに読むこともやはり大事かなぁ…



 ところで、今日は出たばかりの『地の鳥 天の魚群』を読みながら出かけたのだけど、これも(乱暴にいってしまうと)主人公である中年男性の平穏だと思っていた日常生活に突如ある種の暴力が噴き出してくる話で(も)ある。しかも、それは他者からとは限らない。

地の鳥 天の魚群

地の鳥 天の魚群

 湾岸戦争から受けた衝撃の大きさを今日も語っていた奥泉氏、そもそも最初から、日常性と隣り合わせのなにか不可解な暗い力について書いていた人なのだった。