公共機関の〈嫌われたくない症候群〉前篇


 先日、某公立美術館へ展覧会を観に行った時*1のこと。

 展示品は非常に細密な描写が特徴の絵画だったので、みな画面に食い入るような視線で鑑賞している。私もガラスに顔をちかづけて細かいところまで絵を楽しんでいた。


 いくつかの小部屋に分かれた展示室のうち1つで、各部屋に配置されている監視員(?)の女性が、絵を観ている私の斜め後ろから声をかけてきたので「はいっ?」と振り返ると、監視員は「……(おそれいり)ます」だか何だか、ほとんど聞き取れないほど曖昧に口を動かしながらニマニマと笑顔を浮かべたまま、会釈しつつ後ずさりしていくところだった。何を言うておるのか、といぶかしくは思ったけれど、それ以上なにも言ってこないので、すぐに忘れて絵を観て回り続けた。
 次の部屋で、また別の監視員が近づいてきて、「恐れ入りますが、この線より中に入らずにご覧ください」と言う。そういえば、ガラスケースに入らず壁に直接掛けられた絵の手前には、床にビニールテープを貼って囲み線のようなものが描かれている。ただの白いテープであり、何を意味するものかはそれを見ただけでは不明である。


「この線がそういう意味なんですか? これを見ただけでそれを察しろと?」と聞き返すと、監視員は一瞬ひるんだような顔になったあと「ハイ、一応そういう意味で貼らせていただいております」
「床の補修かなにかの都合で貼ってあるのかと思いました」
…もうしわけございません
「さっきの部屋でも何やらオソレイリマスガと声を掛けられたけど、何のことか判りませんでしたよ。入らないで欲しいなら、そう表示するべきじゃないですか」
もうしわけございません
「はっきり書いてないと意味が通じないと思いますよ、そう思いませんか」
…もうしわけございません

 他の返答はインプットされていないようだったのでそれ以上の追及は止めたけれど、そういえば最初の展示室で、熱心に感想を語り合いながら絵を観ていたカップルのところに監視員が近づいて、それきりそのカップルが無言になってしまったのを思い出した。その時は思いつかなかったけれど、あの人たちも近づくなと小言をいわれていたのかもしれない。


 そう言われてから周りをみると、白線のところに足を踏ん張って上半身を乗り出すようにして絵を観ている人もいる。私だってよく見ようとしたらそういう姿勢にならざるを得ない。もしかしたらバランスを崩して、顔面から絵に突っこんで破壊してしまうかもしれないが、それがルールなら仕方ありませんね。
 …というのは冗談だけど、たとえばまず入り口のところに「白線の外側から鑑賞してください」と明確に注意書きが掲示してあったら、私だって小心な典型的日本人なのだから、わざわざ線を踏み越えて観てやろうとまでは思わない、なるべくそこから(苦しげに眼を細めて)みるように心がけるだろう。
 しかし、実際の美術館の態度は《いちいち注意書きを張り出して、煩わしいウルサい施設だと思われるのは避けたい。黙って線だけ引いておくから、そっちで察してちゃんと動いてね。こちらに都合よく。》と言っているのと同じであり、先にルールをはっきり知らせずにおいて、その(自分たちだけ決めたと勝手に思っている)ルールから外れる者がいると、とたんに「あんたルールを破ったね?」と言わんばかりに個別にズカズカねじこんでくるというやりくちは、非常に無礼であり、腹立たしい。(中篇へ続く)

*1:このダイアリーにも書きました