このところ読んだ本・泉鏡花の戯曲いくつか

夜叉ヶ池・天守物語 (岩波文庫)

夜叉ヶ池・天守物語 (岩波文庫)

海神別荘・他二篇 (岩波文庫)

海神別荘・他二篇 (岩波文庫)


 シネマ歌舞伎の予習のつもりで読んだ2冊。前者の解説で澁澤龍彦は《大正期の鏡花戯曲の傑作たる「夜叉ケ池」や「天守物語」》に対して《あまり出来のよくない「深沙大王」や「海神別荘」》と書いているのだが、私は「海神別荘」がけっこう気に入ったのだった。

 シネマ歌舞伎の、海老蔵演ずるドラキュラ伯爵っぽい“公子”のビジュアルを先に見てしまったのが良かったか悪かったかわからないのだけど、人間界のモラルを超越したその大胆な言動も面白いし、なにより公子の姉である乙姫が蓮の糸で織り上げた頁に、見る人の知識によって文字がさまざまな色で明滅して現れたり見えなかったりするという、夢幻的な百科全書が登場するのが嬉しい。これは舞台ではどのようにrealisationされているのかいないのか、興味深い。

 また「多神教」は、神社の杜でひそかに丑の刻詣りを試みた女が神主や氏子たちに見つかり折檻されようとするところを、忽然と姿を現した媛神が助けて思いを遂げさせるという痛快(?)なストーリー。
 「多神教」というタイトルどおり、制度的な「神道」に対して土着そのままの「旧い神」がしっぺ返しを喰らわす話であるとともに、「夜叉ヶ池」や「天守物語」と同じく、虐げられて亡くなった女性の魂が形をかえてこの世に残り復讐をなすという、ある意味で女人救済の物語でもある。自然そのものや天災に対する人身御供として捧げられる女性、というモチーフは「夜叉ケ池」とも共通する。

 石垣を堅めるために、人柱となって、活きながら壁に塗られ、堤を築くのに埋(うず)められ、五穀のみのりのための犠牲(いけにえ)として、俎に載せられた、私たち、いろいろなお友だちは、高い山、大(おおき)な池、遠い谷にもいくらもあります。

 そういう媛神につき従う童男・童女が一つ目だという設定も、直前に柳田國男の「一目小僧」を読んでいなかったらピンと来なかっただろう。「一目小僧」を読んだ時には、「あっ、これがあの諸星大二郎の作品の元ネタか!」とびっくり&納得したのだが、こんなにくっきりと鏡花にもつながっているとは予想もしなかった*1。読解力・記憶力は全然ダメだけど、読む本(と順番)を選ぶ動物的なカンwについてだけは改めてちょっと自信をつけた私なのだった。


 けっきょく、今回読んだ5作のなかで好きな順というと「海神別荘」・「天守物語」・「多神教」という感じかな。鏡花の小説は私にとってはテニヲハ(助詞)のつながりが行方不明になりがちで難しくなかなか手が出せないのだけど、戯曲はわりと読みやすいと思った。

*1:まさかとは思うけど、椎名誠の『ひとつ目女』もひょっとしてこの系譜に連なるのだろうか!?