意外にイノセント

 いや、獅童さんが、ね。(笑)この人はかつてワイドショーであれこれ取り沙汰されていたという印象が強くて、海老蔵さんと同じくwどうも浮ついたイメージが私にとっては拭いきれない人だった。それに、先に観た『天守物語』では朱盤坊(亀姫さまに付き随う鬼)という歌って舞うコミックリリーフぽい役柄で、それがけっこう鬼合い…じゃなくてお似合いだったので、なおさら、その人がお堅い僧侶役?…とやや疑問符付きだっただけど、修行中の若い僧侶という雰囲気がけっこうよく出ていたと思う。舞台でみたらきっと単調に思えたであろう箇所も、ひたすら困惑する彼の表情を映し出すことですんなり掴みやすかったと思うし、別撮りした映像(僧が山道をさまよう場面など)を交えた編集により、無理に全部を舞台上で演出するよちも物語の流れがむしろ自然に伝わるようになっていた。


 ヒロインは、原作の設定上はもともと生身の人間の女でありながら、人里離れた山家で長らく暮らすうちにしだいに魔性を纏うようになったという存在ではないかと思う。さらにそれを、生身の女ならぬ玉三郎が演ずれば、もちろんこんな女が実際にいるはずないだろう…という架空の生き物でしかないのだが、みているうちに、だんだんどこか懐かしい(…というのもおかしな話だけど)、あるあるこんな女性いるわね…という感じになってくるのがなんとも不思議な感覚だった。


 『夜叉が池』『天守物語』『海神別荘』もそうだが、鏡花の作品には大洪水や水害がよく出てくる。それをこの時期にいくつか観たり読んだりしたというのも何かの縁だろうか。理不尽な運命におそわれた女の諦念と、それとは裏腹に知らず知らず発動される魔力の二重性のなかに、普遍的な人間のかなしさも感じさせられるこれらの作品は、水にまつわる怪異という(こちらが勝手に想定した)枠を超えて心に残るものだった。