番組いろいろメモ

1920年代、ローマから24キロ離れたネミ湖から2隻の巨大な沈没船が発見されたとき、古代の船に対するそれまでの認識は大きく変わりました。当時、古代船の中で最も完全な形で船体が残っており、その巨大さ・複雑な構造が明らかになったのです。この2隻の巨大船を建造したのはローマ皇帝・カリグラ帝(帝期37〜41)。その驚くべき造船技術を紹介します。
カリグラ帝の造った船の大きさは、全長70m以上、船幅20m。テニスコートを縦に2面に並べた大きさでした。1隻は「宮殿船」として、もう1隻は「儀式船」として建造されたもので、大理石の床や、お湯や水の出る設備があり、少なくとも片方には浴室までありました。またこの船は建造から2000年の時を経て、イタリアの政治家ムッソリーニによって湖底から回収されました。彼は自分のファシスト政権をローマ帝国の栄光と結びつけようとしていたのです。その後焼失してしまった巨大船ですが、残された資料を基に、古代の高度な技術を再現するべく再建プロジェクトが計画されています。

 カリグラが巨大船を建造したのは、ディアナ崇拝の儀式あるいはイシス信仰のためと言われている(また単なる遊興のためとも)。ムッソリーニの壮大な作戦により湖の水を抜いていったん引き上げられた船が、その後焼失したのはドイツ軍兵士が火を放ったからだとか。“古代宗教の秘儀”なんてナチスが結構好きそうなのに、もったいないことしましたね。

 第二次大戦後、植民地インドを維持しきれなくなった英国は、インドを独立させるにあたってヒンドゥームスリムおよびシーク教徒の指導者たちと話し合い調整を試みるが、根深い対立を収拾しきれないと判断、インドとパキスタンへの分離独立を認める。しかし、机上のいい加減な線引きで決められた国境線をはさんで双方で大量の難民と悲惨な混乱が起き、のち長くつづく紛争を生み出すことになった。
 旧ユーゴやルワンダの民族紛争についてさんざん言われたように、宗教・民族的対立の多くがじつは意図的に作り出され煽りたてられて、いつのまにか雪ダルマ式に大きくなってしまうという側面があるようだ。
 英国領インド時代にも既にヒンドゥー(多数派)とムスリム(少数派)の対立の萌芽はあった。しかし、元はと言えばdevide and rule(分割し統治せよ)との方針を掲げる大英帝国が、反英・独立の気運を殺ぐためにそのように仕向けたのだ。「それ以前には諸々の宗教を信じる人々が一緒に問題なく暮らしていた」という証言も、この番組の中にあった。もちろん複数の宗教(そして数的優劣)がある限り対立がまったく無いはずはなく、またとくに被害・被抑圧意識を強く抱きやすい特定の宗教というのもあるかもしれない。前述の証言にしても、少数派だった側にはまた別の言い分もあるだろう。しかしそこにつけこまれ利用されたとしたらバカらしいと思いませんか?・・とインド&パキスタンの肩を叩いて言ってあげたい気になる。今からでも考え直してもらえませんかね、ご両人。
 パレスチナ問題もそうだが、英国の曖昧で無責任な政策が20世紀の世界史に残した負の遺産は、莫大なものだと思わずにいられなかった。