書評の批評

池内恵書物の運命』(文藝春秋) 読了。

 「書評とかブックガイドとか読む暇があるなら、本命の本をもっと読めばいいのに」と自己嫌悪しながらも、ついつい・・・。

 この本、書評集としての良い評判は目にしていた。図書館で手に取ってみたところ、「職業としての読書」と題された、書評を書くことに対する著者の考えや裏話みたいな文章、さらに「「中東問題」は「日本問題」である」とのタイトルで、“折から学術・思想論壇でささやかに発生していたバーナード・ルイスとその訳書の評価をめぐる議論の混乱についての解説”講談社から求められるままに語りおろしたとされる一文が収められているのを知った。他人のモメごと論争にはわくわくする体質の私、さっそく読むことに。

 書評の対象に選ばれているのは、著者の専門分野に属する中東・イスラーム関連書籍を中心に、国際政治・歴史・思想など社会科学系が殆どで、畑違いの小説作品は梨木香歩『村田エフェンディ滞土録』と村上龍『半島を出よ』の2冊ぐらい(ただしどちらも思わず読みたくなるような薦めぶり)。なのである意味、安心して読むことができる。
 また書評以外にも、研究のため滞在したエジプトでの体験をもとに綴った小文が幾つか収められ、アラブ/イスラーム社会での物事の考え方や生活ぶりを垣間見ることもできる。なかでも印象に残ったのは、

イスラーム教徒にさえなれば救済がいかに容易か、それに対して異教徒のままでいれば天国に入るのはいかに困難か」と明快に説く、イスラーム教の真骨頂

異教徒にとって「取り付く島もない」と思わせるぐらい信者にとって理にかなっているのがイスラーム教である

などと繰り返し強調される、イスラーム教的思考の「身も蓋も無さ」。あまりにもシンプルであり「すっきりし過ぎている」がゆえに、論破どころか対話することさえ困難に思える。池内氏によれば、

日本人がイスラーム教に真っ向から取り組んで本当に理解しようとすれば、ほとんど「頭が割れる」羽目になる

のだそうである。

 一方で、アル=ジャジーラを取材した本の書評の中で

思うに、アラブ諸国では耳では外部から情報が入っても口では全く別のことを言わされる不健康な状況が長期間続いてきた。そこにアル=ジャジーラが「口」をこじ開けた。いったん開かれた口々が好き勝手なことを言って収拾がつかない、というのが現状だろう

と形容されるような、アラブ諸国の人々が強いられてきた複雑で抑圧された心理状態がある。ある意味で単純・直截な(本来の)文化と、複雑な社会のありようがない交ぜになっているために、アラブ/イスラーム社会がよけい理解しづらくなっているのかも、と思った。
(以下、8/14へ続く)