異文化の交差点 スペイン

  • BS世界のドキュメンタリー『地中海歴史紀行 異文化の交差点 スペイン』
    • [前編]花開いたイスラム文化 [後編]キリスト教徒の台頭 〜2004年 英ワイルドファイヤープロダクションズ制作〜

[前編]英国の古代史学者ベタニー・ヒューズがたどる地中海歴史紀行の第2弾。ヒューズは、グラナダアルハンブラ宮殿を訪ねる。この宮殿が調和を感じさせるのは、王の命により、すべての空間が一定の比率に合わせて設計されていたからだ。これだけの傑作を建てる富と知性を有していた帝国は、7世紀のアラビアにその起源を持っている。
[後編]女性考古学者ベタニー・ヒューズが案内する地中海歴史紀行。第4回は、イスラム教徒が支配したスペインの後編。一般には、キリスト教徒が、イスラム教徒の手から国土を取り戻した聖戦として描かれるレコンキスタの真相を、最新の研究に基づいて探る。(NHKサイトより引用)

 ベタニー・ヒューズはこういうテレビ番組に良く出ているらしい歴史家で、ちょっとすてきなお姉さん。クレタ島(ミノア文明)のほうは見逃してしまい残念↓。

  • BS世界のドキュメンタリー『地中海歴史紀行 神話の生きる島 クレタ
    • [前編]獣人ミノタウロスの謎 [後編]文明消滅の謎 〜2003年 英ライオンテレビジョン制作〜

[前編]英国出身の女性考古学者ベタニー・ヒューズが、クレタ島とスペインの興味深い歴史を現地で案内する4回シリーズ。第1回は、クレタ島の前編。クレタを舞台にした奇妙な神話が、歴史の真実を反映しているかどうかを探る。
[後編]英国出身の古代史学者ベタニー・ヒューズがたどる地中海歴史紀行。クレタ島の後編は、青銅器時代に栄えたクレタ文明(ミノア文明)を取り上げる。島には巨大な迷宮をはじめとする建造物跡が今も残されており、調度品はその技術の高さを表している。船で海に繰り出したクレタの人々(ミノア人)の様子は古代エジプトの記録にも残されている。


 ・・・で、ちょっと話は飛ぶけれども、先日の新聞に《イスラム教を扱った芸術表現や言論を自粛するムードが欧州で漂い始めている。預言者ムハンマドの風刺画やローマ法王ベネディクト16世の発言が巻き起こした騒動への教訓から、「触らぬ神にたたりなし」を決め込んでイスラムと距離を置く態度が目立つ》という主旨の記事があった(10/26朝日新聞)。

スペイン南部では、中世にキリスト教徒がイスラム教徒から国土を取り戻した戦いを再現した祭りが盛んに開かれる。だが、バレンシア州ボカイレントでは、戦いに勝利して「ラ・マオマ」(ムハンマド)の人形の頭を燃やす場面が今年春からなくなった。他の町でも「刺激度の低い行事」への模様替えが広がる。

 ちょうどこのお祭りの様子が、上記の番組([後編]キリスト教徒の台頭)の中で紹介されていた。両勢力に扮した時代衣装を身につけ、街路に銃声を響かせる派手なお祭り。ただし初めの引用文にある通り、この番組の主張はそもそも「一般にはキリスト教徒がイスラム教徒の手から国土を取り戻した聖戦として描かれるレコンキスタ」が、実は宗教的対立というよりも領土と富を巡る内戦に他ならなかったというもの。実際にはイスラム教徒がイスラム教徒を倒したり、またキリスト教勢力が金銭と引き替えにイスラム勢力に武力援助したりするケースもあったという。
 その一実例として、13世紀のレコンキスタの英雄として名高いグスマン・エル・ブエノが、モロッコ出身のイスラム教徒であったことが、古文書を調べた結果判ったという経緯を紹介していた。16世紀頃に作成された年代記には、グスマンの出自はイベリア半島であるかのように書き記されている。画面に登場したグスマンの子孫(メディナシドニア公)は、自分の先祖がイスラム教徒であったことを知った驚きと共に、「スペインの歴史は捏造されている」と語っていた。

 トレドは11世紀にキリスト教勢力に征圧されて後も、長らくイスラム教徒とキリスト教徒との共存する町であり、ヨーロッパにとってイスラムの豊かな学術文化へ開かれた窓口の役割を果たした。貴重な書物が集積されたトレドへ、イスラムの文化を吸収しようとヨーロッパ全土から多くの人がやってきた。ソールズベリー大聖堂の屋根から、1200年頃刻まれたと思われるアラビア数字(当時のイングランドでは殆ど使う人がいなかった)が見つかったことは、建築技術者がスペインを通じて流入したイスラム文化の洗礼を受けていたことを示している。これらの史実を小説『大聖堂』は下敷きにしていたわけね。

 アンダルス最後の地、グラナダがとうとうキリスト教徒の手に陥ちても、イサベル&アルフォンソはアルハンブラ宮殿を温存したし、コルドバの大モスクは破壊しきらず内部にキリスト教の聖堂を嵌めこんであるらしい。これらは両文化の豊かな混淆なのか、グロテスクな野合の産物なのか・・私には、寛い心でイスラムの文物を保存したというよりも、単に「豪華で贅沢で綺麗なものは誰だって美味しくて捨てられないわよね〜」という、現実的で卑俗な欲望の結果のように見える。レコンキスタは決して純粋な宗教心による聖戦などではなかった、のだからそれも当然かもしれん。