永遠という残酷さ

[rakuten:asahi-record:12358888:image]

 全盛期を過ぎてほぼ引退状態の大歌手マリア・カラスを、何とかもう一度ひっぱり出そうと画策するプロモーター(ジェレミー・アイアンズ)や評論家(ジョーン・プロウライト)。画面に出てきただけで、それまでの年月やいきさつを物語ってしまうこの俳優たちの「くせ者」感が素晴らしい。
 『スワンの恋』『8人の女たち』で素敵だなと思ったファニー・アルダン。冷静に見ると、どちらかといえばいかつい「お獅子」系の輪郭、むしろ男っぽいとも言える顔立ちなんだけど、なぜかどこまでも女らしい。本作でもひたすら可愛く愚かな“女”を大迫力で演じて感動させてくれた。おそらく実際のカラスも、あまりにも女らしく弱くて、それでいてどこか「男性的」なところのある芸術家だったのでは。そんな彼女を最後まで歌手として「生かそう」と努力した(あるいは企んだ)プロモーターがゲイの男性という設定*1も、なるほどと思うところ。

 全盛期のカラスが残した録音の歌声を、新たに撮った映像にかぶせて「カルメン」の映画を作るという禁じ手は成功したが、歌う喜びを身中によみがえらせたカラスは、今度は現在の声で本当に歌って演じたいという思いを抑えきれなくなる。合成による映画作品を「ニセモノ」と言う彼女に、「どうせもともと作り事なのよ」と返すプロウライト。作り事だからこそ何度でも繰り返され再生し永遠に残る「芸術」の一種の忌まわしさと、取り戻すことの出来ない一度限りの人生とが対比されるこの物語の結末で、カラスは自分の生を完結させるために決然と歩き出すのだけど、それに付けられたこのタイトルは(もちろん讃辞なのであっても)少し苦い味がする。

 ***あとで読むリンク:ジェレミー・アイアンズへのインタビュー記事

*1:どこまで事実に基づいてるのか知らないので一応こう書いとく