帝国の影の落ちた先で

ローズマリー・サトクリフ『第九軍団のワシ』(岩波少年文庫)読了。

第九軍団のワシ (岩波少年文庫 579)

第九軍団のワシ (岩波少年文庫 579)

 まだ子どもだった頃、題名だけに惹かれて買ってもらったサトクリフの『ともしびをかかげて』。いまで言う愛蔵版にあたるしっかりした本、当時としては贅沢なものを親は買ってくれたのだ、私にはもったいないことに。もちろん四部作のひとつだというのも知らなかったし、そもそもローマ帝国支配下ブリテンという歴史に関する知識も無かったのだから、読んだといってもどこをどう読んだのやら、どちらにしても今は何も憶えてません(泣)。けっきょくそれ一冊で終わってしまっていた。

 そんなわけで、このシリーズが少年文庫に入ると知って、やっと四部作ぜんぶを通して読もうという決心をしたのだった。その1冊目がこの『第九軍団のワシ』。


 征服したはずの側が、気づけば自分の帰る場所がどこなのかさえ分からない喪失者となっているという、皮肉な陰翳をまとった物語。主人公マーカスの従者となるエスカは、(現地民である)ブリトン人の氏族出身だが、ローマ軍に囚われ奴隷に身を落とした人物である。また逆に、ローマ軍の兵士だったが今は秘かに氏族の一員となって妻子をもうけ生活している者も登場する。
 エスカが狩りに出た時に保護してきた赤ちゃんオオカミを、マーカスは手元で育てることにする。イヌと同じように「チビ」と名付けて飼われ、人慣れしたこのオオカミがやがて成長すると、マーカスはこれをいったん野に放つ。野生に還るのかまた自分たちのもとへ戻ってくるのか、なりゆきを見るために。チビは自分の意思で、マーカスのところへ“帰宅”してくる。

(...)うれしそうに吠えたてながら、ぶちの毛の動物がマーカスに体を投げかけてきた。マーカスの胸にじゃれかかったチビは、鍋の煮えたっているような音をたててのどをならしていた。(...)そしてチビは必死になって主人を見失って申しわけなかったということを全身で示そうとしていた。
 (...)それからチビが、それまでしたことのないようなことをした。チビは、犬が時々、自分が全く信頼している人にするように、マーカスのひざの間に頭をつっこんできたのだった。

 登場人物の多くが、ほんらい自分が居るはずだったのとは違う場所・立場で生きざるを得ない状況におかれている。愛と信頼のもとに、(自分の母親を殺した)人間の一味にまじって生きることを選ぶチビも、そのうちのひとりである。
 サトクリフはたいへん犬好きで、多くの作品に犬が登場するらしい。このチビ(オオカミだけど)の描写にも、犬をよく知る人ならではのリアルな感触が込められていると思う。これから読む作品にもどんな犬が出てくるのか楽しみ。