建物に換算すれば古民家(p.163)

金井美恵子『目白雑録3』(朝日新聞出版)読了。

目白雑録 3

目白雑録 3

 著者にとっては愛猫トラーの死、自身の病気と辛いことの続いた時期のエッセイが収められている。迫り来る老いを実感しつつもキツい皮肉や批判の鋭さは不変。とはいえ、文字の読み書きが非常にしにくくなった様子は(ちょっとは想像ができるだけに)読んでいても苦労がしのばれ、しんみりしてしまう。
 私としては網膜の病気は「自分もひょっとしたらいつか」と思われるので他人事ではなく、網膜剥離の発症・手術・術後のケアに関するあたり大いに関心を持って読んだ。金井氏も飛蚊症は《高度の近視だった小学生の頃からそれは見えていて》と書いているので、おぉそれも私と同じだ!と少々ショックだった。やっぱり、「目を酷使したから云々」以前に、ある程度先天的な体質というか眼の性質によって、「ド近眼→網膜が弱くなる」という現象が起きやすい人のタイプがあるんじゃないかしらん。それに、手術を受けてもなかなかスキっと元通り見えるようにはならない実情が書かれているので、まず予防に気をつけねば…と痛感した*1

 また、驚いた箇所として、《二十二、三年も前になるのだが、匿名批評を何種類か書いていたことがあり(p.135)》というところとか、『昔のミセス』に収録されていたカルティエについて雑誌『ミセス』誌上に書いた文章は、カルティエの新製品の広告タイアップ企画として、各女性誌が異なる女性筆者にエッセーを依頼したもので、『ミセス』以外のある高級系女性誌に書いたのは《昔、できる女は家事だったか料理も上手、といったような意味のタイトルのベストセラー本を出した、ライター(というのだろうか)女性で》、その内容は……というくだりとか。
 
 その他、面白かった箇所あれこれ(太字・注は引用者):

 丸谷才一山崎正和が出席し、三浦雅士が司会をしている座談会のタイトルは「教養を失った現代人たちへ」というのだが、「西洋との比較で言えば」江戸時代の「ほとんどの国民がエリート」で「小商人や職人まで教養人だったかもしれない」という立場で、明治以後の日本の「教養」の貧しさを清談というか閑談されても、そもそも、どうでもいいことなのだった。(p.71)

 もっと前に、ということは『快適生活研究』を連載中に網膜剥離になっていれば(注:入院生活で同室の高齢女性たちの会話をあれこれ耳で仕込んだ結果として)、長い長い手紙を書くアキコさんの手紙の内容がもっと充実したものになったのに、と悔やまれる(p.125)

 おかしかったのは都知事が、えばりくさった態度でさかんにやりたがっている東京オリンピックだが、北京の開会式に参加した意気さかんだった知事が、中国の見さかいのない皆国民的ともいうべきエネルギーに圧倒されて、肩が落ち背中が丸くなって、いきなり、急激に老け込んでしまった姿がテレビに映ったことだった。スズメのお宿でもらったツヅラを開けた時のおばあさんみたいに−−。(p.189)

 他にもいくらでもあったと思うけどこれくらいにしておいて。

 読み終えたこの本を本棚におさめ、『目白雑録』『目白雑録2』『目白雑録3』と並んだ背中を眺めていると、大岡昇平『成城だより』を連想する……べきなのかもしれないけど、あいにく『パイプのけむり』シリーズ*2のほうが思い浮かぶ。要するにこのシリーズ、まだまだ長く続けて欲しい。

*1:料理をしない私にとって、これほど実務的なお役立ち情報を金井氏の本から得るというのは初めてのような気がする

*2:27冊あるらしい