何をやっても癒されない

 図書館で借りて、「ざっと読み」した春日武彦の本、

私たちはなぜ狂わずにいるのか (新潮OH!文庫)

私たちはなぜ狂わずにいるのか (新潮OH!文庫)

 これは予想したよりも堅い内容だった。精神に異常を来すというのはどういうことかについて、わりとぎっちり考察して書いてある感じ。

問題は、躁なんです   正常と異常のあいだ (光文社新書)

問題は、躁なんです 正常と異常のあいだ (光文社新書)

 これはそれなりに面白い事例の紹介もされていたが、そもそも「躁」については私とあまり関わりがない「よそごと」という感覚があるので「ふーん、」と読み終えてしまった。


 いちばん読みやすかったのはこれ、断片集みたいな本でとっつきやすい。

心という不思議―何をやっても癒されない (角川文庫)

心という不思議―何をやっても癒されない (角川文庫)

 なかでも共感したというか、「このひと、私と同じこと言ってるわ!」と思ったのはここ:

 昔からわたしは、世間では気分転換になるとか楽しいとされている場面であっても、ちっとも心が晴れやかにならなかった。たとえば、休暇で旅行へ出かける当日の朝。必ず、なぜか後悔したくなるような不安な気分に囚われる。このまま出発を取りやめたい感情に襲われる。仕事を中途半端で放り出していくがための罪悪感とか、自分の経済事情に見合わぬ贅沢なプランを立ててしまったがための後ろめたさだとか、そういった明確な理由があるわけではない。ただ何となくもの悲しくて、取り返しのつかないことをしそうになっている心細さを覚えてしまうのである。
 あるいは日曜日。もはや明日は出勤しなければならないといった思いがのしかかって、すっきりしない。夕方頃になると「サザエさん症候群」とか称して憂鬱になる人がかなりいるようだが、わたしは朝から気持ちが暗い。
 映画なコンサートで感動しても、帰り道はその感動に見合うだけの寂しい気分に陥る。買い物をしても、何だか悪いことでもしてしまったような心許なさをぬぐい去れない。
   (p.132「何をやっても癒されない精神科医」より)

 20歳代の頃のことだが、土・日曜の午前早くから夕方遅くまでめいっぱい外出して遊んできた話をする友人に感心して、「私なんか日曜の朝起きたらもう月曜のこと考えて…」と何げなく言ったら、「えーっ、そんなん、ものすごく損やん!」と真顔で驚かれたことがあった。それほど元気いっぱいタイプの子ではなくて、どちらかといえば私には近い、気の合う友人と思ってつきあっていたので、“そうなのか、やっぱり普通はそうなんだ、私とは違うんだ…”と、よけいにショックだったことを思い出す。
 何かのイヴェントに出かけようと、幾日も前から楽しみにプランをたてたりしていても、いざ当日になると「こんなコンサート出かけたって、何になるんだろう」「こんな映画(展覧会etc.)観ても、何にもならない」という感じに“襲われる”のは毎度のことだ。「明確な理由があるわけではない。ただ何となくもの悲し」い。まさにそうとしか説明できないあの感じ*1。このくだりを読んだだけで、少し気が晴れた。


 ほかにも、不快な匂いや音、ちょっとした妄想やこだわりなど、筆者自身の弱みというか痛点(?)に関する記述が多々みられ、“心を病んだ患者を暖かく見守る温厚な人柄の精神科医”というこっちの抱きがちな勝手なイメージとは異なる、若干イライラした人物像が思い浮かび、患者や病気の話よりもむしろそっちのほうが面白いかも知れないのだった。(そういえば、“顔面考”の一環としてとうぜんマイケル・ジャクソンについてもどこかで書いておられそうな気がするし読んでみたい。)

*1:春日氏のいう「取り返しのつかない」「悪いことでもしてしまったような」感じとはちょっと違うのかもしれないけど