時に閉じこめられて

 マーガニータ・ラスキ『ヴィクトリア朝の寝椅子』読了。図書館本。

ヴィクトリア朝の寝椅子 (20世紀イギリス小説個性派セレクション)

ヴィクトリア朝の寝椅子 (20世紀イギリス小説個性派セレクション)

 胸を病む若い人妻が、骨董店で一目惚れして購入したヴィクトリア朝の寝椅子でまどろみ、目覚めると1860年代にいた…というお話。

 同一人物がそのまま過去へ移動するタイムスリップではなく、過去に存在する別の人間のなかに、自らの意識が閉じこめられたらしい、と気づいたヒロインは、いったい何がどうなってこうなったのかを必死で解読しようとする。未来(というか彼女にとっての現在)と、この過去との対応関係(彼女はそれを"パターン"と呼ぶ)を見出そうとする。信頼できそうな人物に自分の苦境を訴えようとし、「未来」からきたことを証すために20世紀の発明なんかを挙げようとするのだが、19世紀に存在しないものの名称はなぜか突然思い出せなくなっている。彼女は決して愚かな女性ではないと自負しているのだが、悲しいかな、同程度の知性の女性がヴィクトリア時代において発揮できた程度の知性しか稼働できなくなっている、というところも泣かせる。
 やがてヴィクトリア時代の彼女がおかした過ちがなんとなく判明してきて、20世紀人であるほうのヒロインの意識は、ふたり(?)の行動に相似点を見出す。でも、いったい彼女は何をしたのだろうか?明確なことは何も語られないまま、19世紀のほうの彼女の命は尽きようとしていく。
 そういえば、物語の最初、20世紀の部分では、ヒロイン自身よりも主治医の視点からの描写が妙に多かったことに後で気づく。しかも彼は、ヒロインの病気に対する自覚の程度を危ぶむこと頻りで、彼女の精神状態が(その肉体と同様)必ずしも全く健康とは言い切れないとの印象を与える。物語が始まる前、彼らの間には何があったのか?……

 「ヴィクトリア朝」と聞くと、私なんかはすぐに装飾的でロマンチックな良いイメージを思い浮かべてしまう(^^;)ゞのだが、この小説のなかでは、陰気で重苦しくゴテゴテしていて悪趣味で埃っぽく*1、そして何より「結核が治せない」絶望的な世界として描かれている。作品が書かれた1950年代から振り返った、それほど遠すぎない過去に対する厭悪感によるものなのか。

 

*1:お話がヒロインの寝椅子が置かれている部屋から一歩も出ないため、もっぱらその部屋のインテリアが印象を決定している