読んだものあれこれのメモ

 (いつもの如くぼんやりしたまま読み、理解しないまますでに忘れかけた思いつきあれこれを書き留める)


 安藤礼二の『たそがれの国』を読んでいるうちに、大震災が起こった。 

たそがれの国

たそがれの国

 「遠野物語」から折口信夫へつながる第1章で始まり、阿部和重古川日出男を論じたセクションで終わるこの一冊は、いやでも東北に思いを向けさせるものだった。生と死が交わる領域としての「たそがれの国」。東北はそんな独特の陰翳を帯びながら豊かな言葉を生み出し続ける肥沃な文学的土地である。その地があのように破壊されたのをみるのはつらい。


 折口信夫と言えば、岩波書店『図書』3月号丸谷才一の連載エッセイ「無地のネクタイ」11回目、「いやな話題」は死刑制度に関するもの。

 死刑と御霊信仰について考へる場合、宮田登が久しい以前、折口信夫の「招魂の御義を拝して」を引きながら論じた一文が示唆に富む(『現代民俗論の課題』未來社)。折口は戦時中のことゆゑ、韜晦を極めた言辞によつてではあるが、もしも靖国神社といふ制度によつて庶民の亡魂が国家の神になれば、孫が呼べば戻つて来る懐かしい神ではなくなるといふ恐れを述べようとしてゐるらしい。本来、家のレベル、村のレベルで祀るべきものを国のレベルで祀ることへの懐疑があの直感力に富む民俗学者にはあつて、それを彼は口ごもりながらではあるが、どうしても言い立てずにはいられなかつたものらしい。
 (…)明治国家は戦死者の死霊を慰めるといふ美名の下に遺族の不満をなだめ、あはよくば国民の戦意を昂揚しようと虫のいいことを考へた。そして日本人全体は亡魂を鎮める祭を体制と官憲に委ねた。このとき幕末以来の戦没兵士たちを含む戦争の犠牲者たちへの、全国民的な哀憐の思ひはどうなつたか。十九世紀末にはじまる宗教心の衰頽と共に行方を失って、国民の心の中で困り果ててゐる。

 
 ここを読んで思い出したのが、先月末に朝日新聞に載った平雅行氏の連載「時代を生きる 法然親鸞と今」。鎌倉時代のモンゴル襲来のお告げから話を始める。大きい見出しに《眠り許されぬ戦死者》。

 法然親鸞の時代とは、神々が戦争をすると信じられていた時代でもありました。(…)
 靖国神社では戦死者たちを神として祀っています。戦没者を祀ることが、なぜ日本の平和(靖国)を祈ることになるのでしょう。答えは簡単です。彼らは軍神・神兵として祀られているからです。 
 私たちは忘れていますが、彼らは今も戦っています。靖国の英霊とは神々の軍隊です。彼ら神兵たちは日本を護るため、今なお戦うことを強いられています。安らかに眠っているのではありません。(…)
 私たちはいま戦没者たちに、何を祈るのでしょうか。「これからも私たちと、私たちの国を護るため、頑張って戦ってください」、そう祈りたい人々は靖国神社にお参りするとよい、そう思います。
 でも……、「もう戦わなくてよい。あなたたちは日本のために十分に尽くした。これ以上、戦わなくてよいから武器を置け。そして故郷に帰って、家族のもとで安らかに眠ってください。」そう語りかけたいなら、靖国神社はそれにふさわしい施設でしょうか。


 自然の猛威に命を奪われた人、災害から市民を救うという公の使命を果たそうとして斃れた人、あんなにもおおぜいの人々の霊を、これから長いこと掛かって慰めなければならない。後に残った者のためにも。慰霊とはなにか、という問いが東北から幾重にもひびいてくる。