呼応する眩暈(ほら話を吹きこまれて…)

ラテンアメリカ十大小説 (岩波新書)

ラテンアメリカ十大小説 (岩波新書)

 昨日の昼、手に取ったばかりの木村榮一ラテンアメリカ十大小説』に、ホルヘ・ルイス・ボルヘス「エル・アレフ」の一節が引用されているのを読んだ。地上の全ての場所が収まっているという小さな球体《エル・アレフ》を描写する箇所。

 (…)私は大勢の人でごった返している海を見た、夜明けとたそがれを見た、アメリカの群衆を見た、黒いピラミッドの中心にある銀色のクモの巣を見た、壊れた迷宮(それはロンドンだったが)を見た、鏡を覗き込むように私の様子をうかがっている無数の目を間近に見た、地球上の全ての鏡を見たが、そのどれにも私は映っていなかった。ソレール街の中庭で、三十年前にフライ・ベントスにある家の玄関で見たのと同じタイルを見た、ぶどうの房を、雪を、タバコを、鉱脈を、水蒸気を見た、熱帯の凸面状の砂漠とその砂の一粒一粒を見た……。アルクマールの書斎で二枚の鏡によって無限に増幅されている地球儀を見た、明け方のカスピ海の海岸をたてがみを乱して走る馬たちを見た、手のほっそりした骨格を見た、戦闘で生き残った者たちが絵葉書を送っているところを見た、ミルザプルのショーウィンドーにあったスペインのカードを見た、温室の床に斜めに影を落としているシダを見た、虎やピストン、バイソン、波のうねり、それに軍隊を見た、地上の全てのアリを見た、ペルシアの天体観測儀を見た、(…)

 まだまだ続くがこのへんで。これを読んで「あぁ、やっぱりボルヘスは面白そう。読まなければ。」と思った。


バウドリーノ(下)

バウドリーノ(下)

 そして夜、このところ寝る前の習慣となっているウンベルト・エーコ『バウドリーノ』の続きを読んだ。いよいよ司祭ヨハネの王国に近づいたバウドリーノご一行が、その目前で、(司祭の息子である)助祭ヨハネの宮殿に逗留するくだりである。謁見に応じた助祭ヨハネは、かねて噂に聞く西方世界のあれこれを聞きたがる。

 助祭は、(…)素晴らしい西方において、自分がこれまで手にとって読んだ多くの本で語られているような驚異がすべて実在したのかどうか、ぜひじきじきに教えてほしいものだ、と言った。(…)ローマには、巨大な円形の建造物が存在し、(…)その建造物に行く時に通る階段には、どこかの踏み段の基底部に穴が開いていて、そこから宇宙に生じる万物の流れが見えるかどうか。つまり、海底のすべての怪物たち、夜明けと夕方、最果ての地(ウルティマ・トゥーレ)に暮らす大勢の人々、黒いピラミッドの中心にある月の色をしたクモの巣状の糸、八月に天から灼熱のアフリカの上に降る白く冷たい小片、この宇宙のすべての砂漠、あらゆる書物のあらゆるページのあらゆる文字、サンバティオン川にかかるばら色の夕暮れ、二枚の光る板にはさまれて無限に再生する世界の幕屋、湖畔なき湖のような水のひろがり、牡牛、嵐、地上に存在するありとあらゆる蟻、星の運行を再現する球体、おのれの心臓とおのれの臓器の秘密の鼓動、死にさいしてゆがむ私たちおのおのの顔などが……。
 「こんなほら話をこいつらに吹きこんでるのは、いったい誰なんだ?」〈詩人〉があきれたようにつぶやいた(…)

 エーコは「なにを下敷きにして書いてるか、当然、わかるよネ」と言ってるのかもしれないし、じっさい、エーコの小説を読もうというほどの読者のほとんどは、言うまでもなくここで(もちろんとっくに読んだあの有名な)「エル・アレフ」を思い出すに決まっているのかもしれない。でも(なにせ読んだものをかたっぱしから忘却していく私なので、)たとえ抜粋でなく「エル・アレフ」本体を既に読んでいたとしても*1、両者を同じ一日の昼と夜に続けて読まなかったら、この照応に気づかなかった可能性大である。


 前日になーんとなく引っぱり出した『ラテンアメリカ十大小説』の、まさにこの箇所を読んだその日に、『バウドリーノ』のほうの、これまたちょうどその箇所に差しかかるという、偶然にしてもできすぎたこの巡りあわせを、ぜひ記録しておきたくて、長々引用した次第。私は読解力も記憶力も貧弱な、何を読ませても甲斐のない読者ではあるけれど、やっぱり《本の神さま》は私のことを見ている。そう思った一日でありました。


余談:この「エル・アレフ」の一節、あの『ブレード・ランナー』の有名なシーンの、ルトガー・ハウアーの科白も連想させますよね?しない?

 “I've seen things you people wouldn't believe.”

*1:実は、むかーし『ボルヘスとわたし』でこの短篇は読んでるはずなんだけど、やっぱり記憶は雲散霧消。記憶の人ボルヘス、忘却の人ニゲラ。