顔のない男

 昨日の日曜日の昼間、録画したままで長いこと放ってあった“SHERLOCK”の第2シーズン最終話『ライヘンバッハ・ヒーロー』を観た。

SHERLOCK/シャーロック シーズン2 [Blu-ray]

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 第1シーズン最終話に続き、モリアーティとの対決が胸苦しいような緊迫感のなかで展開、そして「い…いったい誰が?どちらが?」と言いたくなるようなエンディングで、全視聴者を来シーズンを待ち焦がれ身悶えするという地獄へ突き落としたwわけだが、今回のストーリーのなかで、誘拐され救出された少女が(会ったことのないはずの)シャーロックの顔を見るなり恐怖の悲鳴をあげるという場面がある。刑事たちが、じつは全てがシャーロックの自作自演なのでは?と疑い始めるきっかけのひとつにもなるこの場面が、伏線というかカギなのかもしれない。シャーロックとモリアーティは、象徴的なレベルではなく、実際に、合わせ鏡に映ったように《似たもの同士》なのだろうか?いや、似ているというよりももっと根源的な何か…


 …というような妙な気分にさせられた直後、さてさて、という気分で楽しみにしていた『ディミター』を読み始めた:

 この小説のごく初めのほうで、《虜囚》と呼ばれる男が捕縛される前の状況が語られる。彼が、死んだはずの男=セルカ・デカニの名前を名乗り、そのセルカ・デカニ本人を生前よく見知っており且つ「セルカ・デカニは既に亡くなった」ことまで知っているはずの人々が、《虜囚》の言葉どおりに彼をセルカ・デカニだと(一瞬とはいえ)思い込んでしまったという奇妙なエピソードが明らかにされる。その時、いったい《虜囚》はどんな顔をしていたのか。私は当然、さっき観たばかりの“SHERLOCK”を思い出さずにはいられなかったのだが、そこにはモリアーティとシャーロック、いずれの顔を思い浮かべるべきだったのか判然としない。ただ顔の部分が猛烈な勢いで鋼鉄色の渦を巻く、人間の形はしているけれど、それではない何ものかの姿だったかもしれない。