フロイトの暗い書斎で



 お話自体にそれほど関心があったわけではないですが、とりあえず主演ふたりの顔を見に……驚くような展開やすごく新鮮なイメージというのはないけれど、時代描写と色合い、しっかりした俳優陣の演技をみて楽しめた映画。

 出産間近いユングの妻エンマが着る、大きなレースの高い襟がついたドレス、街を走る馬車、フロイトユングが散歩する公園の景色と人々の様子、なにもかもが(1900初年代、たとえば『失われた時を求めて』なんかの時代なのよねきっと。とはいえ)とても20世紀とは思えない古めかしさ。土地柄のせいもあるかもしれませんが。


 フロイトヴィゴ・モーテンセン)の書斎の、渋い古色に沈んだ感じのインテリアがその最たるもので、パッと映った瞬間、どこといって根拠はないがザ・19世紀と思ってしまった。あとでパンフレットを読んだら、役作りのためにいろいろ研究したヴィゴが《フロイトは何十年も同じ服の着方をしていた。19世紀の着方だ。ドイツ語を18〜19世紀の書き方で書き、決して変えなかった》と語っているので、実際そういう雰囲気の部屋だったのだろう。彼が始終喫んでいる葉巻のせいもあって、何か燻香が染みついたような、堆積したものの匂いを感じるような、部屋であり、フロイト本人でもある。
 それに比べて、チューリヒの病院にあるユングの診察室は“オフィス”と呼ぶのがちょうどいい感じの、明るくスッキリしたインテリアに描かれている。しかし、そのユングの思想を「神秘主義に傾きすぎ」「科学的でない」と批判するようになるのが、むしろ怪しげな色彩の部屋の主であるフロイトのほうなのである。この逆説的なイメージが面白かった。互いの昨晩見た夢を語って分析し合うはずなのに、自分の見た夢についてはフロイトが口をつぐむという場面があり(実際そのようなことも原因で2人は決別することになったそうだが)、科学的・合理的であることを求めたフロイトのほうが、じつは隠していた暗いものは大きかったことを思わせるエピソードである。ちなみに、ユングがどんどんオカルト的な思想へ傾いていくという経緯は、この映画のなかではあまりはっきり描かれていない(フロイトがいうほどトンデモ思想信奉者にはみえない)。それはもっと後年のことになるのかしら。


 「クローネンバーグ映画にしては変態要素少なし」という感想をどこかで見かけたけれど、ユングが(妻を実験台に)研究していた嘘発見器的機械、あれが最初に映ったときはなにか拷問器具のように(あるいは『裸のランチ』のタイプライターのような感じ)みえたし、フロイトの書斎にあった椅子が後ろから映った時も「ちょ、それひょっとして×××みたいな形なんですけど」*1と思いかけた(座ってしまうとよく見えなくなる)。これもパンフレットで後から知ったのだが、あの椅子が“クローネンバーグ調”に見えたのは偶然で、実際にフロイト自身がデザインして使用していた椅子を借りて撮影したそうである。あとは変態(でもないか)方面はヴァンサン・カッセルが全面的に担当していた。


 ユングが妻から贈られた赤い帆のヨットをこぎ寄せるのを、ザビーナが水辺に立って待つ場面は、クノップフとかハンマースホイの絵のような静かさで胸に沁みた。エンマの、ウィーン菓子(?)のようなあわあわと儚げな美しさと、彼女が耐えたものの重さの対比も良い感じ。フロイトに比べれば一見すっきりと真面目そうなくせに、再三「妻の裕福さ」に無邪気に言及してフロイトを苛つかせたり、これまた再び女性患者に手をつけたり、やっぱりわけわからん奴であったユングがひょっとしたら主人公なのだろうが、正直、あまり魅力的でない。ラストシーンの、ひとり腑抜けたように湖面を見つめる顔が彼そのものという感じ。

*1:映画の主題が主題だけに、うっかりすると何もかもが×××や◇◇◇の形に見えそうなんである