つねに隠されているなにか

アーサー・マッケン/南條竹則『白魔』(光文社古典新訳文庫)読了。

白魔 (光文社古典新訳文庫)

白魔 (光文社古典新訳文庫)


 マッケンといえば、むかーし『輝く金字塔』を図書館で借りて読んだものの、常の如く何もおぼえてない。『夢の丘』はたぶん中途挫折したんじゃなかったかな…という程度。本書収録作のうち、『輝く金字塔』(の本体でなく月報だったらしい。本書の解説によれば。けどホントにそうだったかなー)に載ってた「儀式」はさすがにおおむね記憶にありましたが。

輝く金字塔 (バベルの図書館 21)

輝く金字塔 (バベルの図書館 21)

 表題作もだいたい「儀式」に似たシチュエーションに依るもので、無垢な少女がイケナイ乳母の影響で魔道へ惹きこまれていってしまう話だが、今はすでに行方知れずとなった乳母に幼い頃聞かされたお伽話というか怪奇民話を次々にとりとめなく回想していくところは、なんだか遠野物語を思い出した。最終的に少女がいったい何を目撃し体験したことで大いなる秘密の実在を確信するのかは明確に描かれているわけではなく、核心はいつも曖昧にぼかされていて、文字どおり"オカルト"小説なのである。


 二番目の収録作「生活のかけら」は、南條解説もいうとおり内容も題も不思議、なぜマッケンがこのような所帯じみた話を…と訝しく思うほど、さいしょのほうはひたすら若い夫婦の涙ぐましい倹約話になっている。味気ないシティ勤めの夢想がちなサラリーマン主人公が、時おり風景の向こうに重ねて思い描く幻影に過ぎないと思われたものが、しだいに真の姿を現す…んだけど、なんだか唐突な終わりかた。思わせぶりにちらちら登場した隣人たちや、不審なメモを残した叔母夫妻をめぐる一連の奇妙な出来事など、伏線なのではと思われたあれこれがちょっと気になる。純真な若い男女になにか得体の知れぬものが迫っていく雰囲気は、『復活の儀式』を思い出した。

 マッケンの作品は自然描写が濃密で、そこをじっくり読んで楽しめる気分のときにはなかなか良いものだと思うけど、そうでないと辛気くさく感じることになりそう。『輝く金字塔』を読んだのはようやく秋の訪れを感じるやや肌寒い時期で、それが作品の気分に合致したいうことは(当時日記にそう書いたかなにかで)なぜか明確におぼえていて、今回も初夏だかなんだかはっきりしないボンヤリした灰色の空の下でこれを読んだのはわりといい環境だった気がする。少なくとも、ぎらぎら照りつける酷暑とか寒風ふきすさぶ真冬とかは、この人の作品を味わうのにふさわしくなさそう。