先週観てきた展覧会ですが記録のため
MIHO MUSEUM
3月10日(土) - 6月3日(日)
猿楽と面―大和・近江および白山の周辺から―
あの、それ自体が深山幽谷に架かった幻の能舞台みたいなミホミュージアムのほの暗い展示室に、お面がずらっと並んでいるようすを想像しただけでちょっと怖くないですか?! 開館時間中はまだしも、夜中ももしかして警備員さんは巡回したりするのかしら、どんだけ気味悪いだろう…と勝手に盛り上がりながら訪ねました。
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MIHO MUSEUM
3月10日(土) - 6月3日(日)
猿楽と面―大和・近江および白山の周辺から―
あの、それ自体が深山幽谷に架かった幻の能舞台みたいなミホミュージアムのほの暗い展示室に、お面がずらっと並んでいるようすを想像しただけでちょっと怖くないですか?! 開館時間中はまだしも、夜中ももしかして警備員さんは巡回したりするのかしら、どんだけ気味悪いだろう…と勝手に盛り上がりながら訪ねました。
続きを読む(twitter貼り付け練習を兼ねて書いてみた)
4月上旬発売予定の後藤明生『引揚小説三部作』の装丁はこんな感じ(束見本に色校を巻きました)。「夢かたり」「行き帰り」「噓のような日常」を収録。巻末解説は山本貴光さん!上製角背・糸かがり綴じ函入で、堂々の544ページ!こんな時代だから読んで欲しい、引揚者たちの日本に対する複雑な想い―― pic.twitter.com/CJVuzMzUye
— つかだま書房 (@tsukadamashobo) 2018年2月28日
ある論文がある書物に「収録」されているという表現を、編集の方が一括して「所収」と修正(提案)してきた。私の語感では圧倒的に前者なのだが、後者がより正しいのだろうか。
— 吉田寛 Hiroshi Yoshida (@H_YOSHIDA_1973) 2013年1月4日
ひとつめのツイートの画像を見ると、帯に《三作品を完全版で所収》とある。
まえまえから、「所収」の使われ方に疑問を感じることはたまにあり、かといってどの用法が正しいのか、大ざっぱに辞書を見たり検索したりしただけではいまひとつ決定打に出会えていない。あくまでも、自分の日本語人生に於ける経験の蓄積からそう感じるだけなのだが…
そう思いながら見つけたふたつめのツイート、これに対する返信にさらに続いて、元ツイート主の吉田寛さんが、
https://twitter.com/H_YOSHIDA_1973/status/287208698445709312
「収録」とは違って「所収」は動詞では使わない、というのが私の認識(違和感)
と書いておられるのもだいたい私の感覚に近い。
「所収」という言葉のよくある使われかたとして、出典表記なんかで
というのがあると思う。この場合、意味するのは
ではないのだろうか。私は少なくともそう思ってきたんだけど。ていうか、この「所」ってナニ?
最初に戻ると、画像の書籍に付いている帯の宣伝文は、《三作品を完全版で収録》でいいはずだし、なぜ《所収》にするんだろうと思ってしまう。
平日は気づく機会がないまま過ぎてしまっただけかもしれないけど。きょうフッと漂ってきた芳しい風をたどって振り返ると、よそのお庭の生垣にはもう花房がいっぱい付いている木もあった。季節は容赦なく追い立ててくる。
(ひさしぶりすぎて、はてなブログの更新のしかたもあやふやなままなので、練習も兼ねて投稿…)
前々から気になっていた、合衆国オレゴン州はポートランドの本屋さん、Powell'sのグッズを年末にポチりました。
クリスマスシーズンをはさんだせいもあってか、予想よりは少し時間が掛かりましたが無事到着。
Tシャツを着る季節が待ち遠しくなる可愛さ。
しかしSci-Fi ウォーターボトルはうっかり想定外のデカさだったので、どういう機会に使えばいいのか悩んでしまいそう。ちなみに暗いところで光るそうです(まだ試してない)。目盛りについている作家名の中には知らない名前も幾つかあるので、やっぱり私はとうていSF読者とは言えない。
オンラインショッピングの罠にはまった感が少々ありますが、反省しつつ今年もポチッ…いやぼちぼち生きていきます。
ことしの夏、国立歴史民俗博物館からもらった朝顔4品種(うち1品種は発芽せず)の種を播いたところ、思わぬ結果が生じている。
発芽率というか歩留まりを悲観的に見積もりすぎたらしい。1品種につき5粒ほどの種を、どうせ生き残るのはよくて1,2本だろう…と1つの鉢に播いた結果、ほぼ全てが元気にスクスク発芽&伸長し、隣り合う鉢にまで触手を延ばす恐るべきジャングル状態に…写真が寄りぎみなのは、全体像がとてもお見せできるようなさまではないからなのです。
なかでも気の毒なのは、画像3枚目の“青蜻蛉”である。画像左下隅に写っている鮮やかなブルーの花は、勝手に混じり込んでいた他のおそらく西洋アサガオ(?)。こいつのほうが勢いが強く、激しく絡み合って死闘を繰りひろげた挙げ句、本来の“青蜻蛉”と思われる右側の淡藤色の花のほうは押され気味。
↓これが実情
だいたい私自身はお花の世話をしたことがない。そのうえ今年はこのヒトたちの鉢に支柱を立てた直後くらいから頸椎の具合が悪くなり、ひどい神経痛で日常動作も辛いという日々が2ヵ月以上続いてしまって、とてもアサガオ観察日記をつける(というよりそもそも庭に眼を向ける)余裕がなかった。結局、水やりなどほとんどが母の負担となってしまって、年寄りには申しわけないことだった。アサガオくらい簡単に育てられるだろうと甘く見た自分を少し反省。
夏が盛りを過ぎようとする気配が感じられるこの頃になって、ようやく身体のぐあいも良くなって来て、懸案だった〈はてなダイアリーからはてなブログへの移行〉という大事業にも手をつけることができるようになった。庭へ出て、狂ったように繁茂している朝顔のみなさんに「すまんね」と完全放置を詫びる。もしも種が採れたら、来年はもっとゆったりした植え付けで、美しく咲けるようにしてあげたい。
これが、はてなブログへ直接投稿する最初の記事。まだまだ使い方がよく判らない。転勤とか配置換えとかって、こんな感じ? これも少しずつ勉強する。
早く涼しくなってほしい。充実した秋にしたい。
病気してからこの約2年、規則正しく早寝早起きするようになってぐっすり眠るせいか、とんと夢を見なくなっていた。
ところが、ここしばらく整形外科系の不調につきちょっと不規則にゴロゴロすることが増えた。二度寝、というか、休日の朝など、一旦起きて朝ごはんを食べたあと、もう少し横になるか…とやった結果、いわく言いがたい悪夢?を立て続けにみることになった。
なかでも印象に残った2つが、どちらもざっくり要約すれば《若い女に侵入される》ストーリーだったのは、いったい何を指し示しているのだろう?
どちらもこれまたざっくりまとめれば《水のそば》での出来事だったのは、これは単純に、トイレに行きたいと思いながら見た夢だったからなんだろうけど(笑)。
ひとつめは、落水荘みたいな変な構造の別荘かなにかの勝手口に面した水路を越えて、女子高生ふうの集団が入ろうとしてノックしてくるのを必死でドアを押さえて居留守を使おうとしている夢。
ふたつめは、どこかのビルのアールデコ調の洗面所みたいなところの鏡の前で、若い女が「服を直してあげましょう」と言って、襟から手を入れてどんどん下着の方まで手を伸ばしてくるのを、後から入ってきた別の女が「早く離れたほうがいいですよ!」と助け出してくれる夢。
どちらもけっこう怖かったんだけど、いったい私は何を考えていたんだろう…