「たちあげる」に統廃合されていくもの


 林蘊蓄斎さんのブログdaily-sumusの、12月4日の日録に、次のような一節がありました。

「立ち上げる」という言葉はもう辞書にも載っている。しかし「立つ」という自動詞と「上げる」という他動詞をくっつけるのはけしからん! と、たしか阿川弘之が怒っていた。みんなで使えば怖くない類いの動詞かもしれない。ただ、「たち」を「立ち」と考えず、強勢の接頭語(たち勝る、たち至る)と思えばそう腹も立たない。ま、小生は使わないように気をつけているが。


 私も「けしからん」とまでは思わないものの何となく不愉快(文法面が理由ではなく、いかにも業界用語臭いから)だし、自分の口からは出てこない言葉です。そして、「立ち上げる」自体が気にいらない、という以外にも理由があります。
 「立ち上げる」という言葉が、従来使っていた言い回しではなかなか表現できないような、微妙な意味合いやニュアンスを言い当てていて、これまでより表現の選択肢を増やしてくれているのなら、それは大いに歓迎されることだと思います。でも、実際には逆の方向へ働いているように感じることが多い。


 この言葉が“発明”されるまでは

  • (会社を)設立する
  • (同好会を)結成する
  • (ビルの一室に事務所を)開設する
  • (企画を)立案する、(しくみを)考案する
  • (その他いろいろな何か?を)始める、作り出す 

など(あいにく私が思いつくのは漢語ばかりですが、もっと良く当てはまる大和ことばもあるはず)、内容に応じてさまざまな意味とニュアンスのある動詞がしぜんに使い分けられていたはずなのに、さいきんのテレビニュースなどを見聞きすると、これらに該当するような場面何もかもが「立ち上げる」一語で済まされているような気配があります。一般の人のあいだではどの程度使われているのか分かりませんが、少なくともマスメディアはこの言葉を「便利に使いすぎ」だと思います。


 豊かだった語彙が、あっという間に駆逐されて、単彩で殺風景な表現に塗り込められてしまう(まるで、個人商店や特色あるお店がどんどん無くなって、どこへ行っても同じ全国チェーンのショッピングセンターとコンビニとユニ○ロとス○バばかりになってしまった景色みたいに・・)。せっかくあった言葉を、わざわざ減らすような風潮は口惜しいし、厭な感じがします。それに、脳味噌のシワまで減ってしまいそう。


 ところで、蘊蓄斎さんが例に挙げている「たち勝る」「たち至る」、どちらも見聞きしたことはあっても自分からはまず使わない言葉です(とくに前者)。こういう機会に心に留めておいて、忘れないようにしたい日本語だと感じました。