どこかへいってしまった者たち

内田百輭ノラや』(旺文社文庫/1983) 読了。


 ある日ふっと出ていったきり帰って来ない飼い猫ノラを案じて、来る日も来る日も泣き暮らす百輭。その顛末が雑誌に掲載されラジオでも放送されて、一般の人たちから同情や助言の手紙がいっぱい届く。それをまとめた「ノラ来簡集」三十数通が併録されているのが、なんといってもこの随筆集の特色になっている。

ノラちやんはまだ帰つてまゐりませんか?横須賀線の車中で小説新潮の「ノラや」を読み、涙があふれ出てきて、おさへる事が出来ませんでした。

大変失礼なことと存じますが、毎日猫のことを心配してゐます。ノラちやんはゐましたか。あまり御気の毒で一筆お便りします。

御愛猫ノラさんの行方不明の御文章を「小説新潮」で拝読いたしまして胸うたれました。ノラさんは帰つて来られたでせうか。

といった調子で、綿々とつづく。反響は善意の人からとは限らなくて、なかには嫌がらせや悪戯の電話もあったそうだが、ここに収められているのは市井の愛猫家の親切心あふれる手紙がほとんどだ。しかしノラの心配はそこそこに「私共のピー子」やら「当方のコロー」やらが帰った帰らないなど、いつのまにかMyねこの話になってしまっている人が多いのは笑える。誰にとっても猫と言えば“うちの子”なんだろうからしかたないが。

 「ノラや」に始まる一連の作品が発表された時、世間では「あの百輭が猫ごときでこんなに嘆き悲しむとは意外!」みたいな反応があったらしい。私はこれまで『冥途・旅順入場式』(岩波文庫)しか読んだことが無く、百輭の人となりについて殆ど知らなかったためよく解らないのだが、それだけ気むずかしくて意地悪な印象を持たれていたということか。しかしこの本に収められた他の作品にも、猫ならぬ人間に対する優しい気持ちの表れる部分がある。「一本七勺」は、戦争末期の物不足な頃、酒好きな百輭のために国民酒場で長時間行列して、配給量の限られた酒を手に入れてきてくれた、当時の勤め先で給仕だった夭折の青年を追想する切ない小品で、“ノラもの”以外では私は特にこの一篇がしみじみと心に残った。


 この旺文社文庫版には、百輭の弟子である平山三郎による解説が付いている。『ノラや』が昭和32年文藝春秋新社から出版された時には、「ノラ来簡集」に手紙が収録された人々に対しては事後承諾の格好になり、そのかわり本が送呈されたらしい。ところが、

その後お名前と住所が散佚しまして、こんどの『ノラや』を刊行することにお許しを得ることが出来ません。どうかこの文庫版『ノラや』をごらんになりましたらば、この手紙は自分が出したものだと、一言ご住所を記されたおハガキを左記へ頂戴いたしたいと存じます。次々輯刊行予定『クルやお前か』を差上げて、御礼に代えたいと思います。
     旺文社文庫編集部気付 平山三郎

と末尾に書き添えてある。果たして、これを見た手紙の主(あるいは関係者)の何人と連絡がついたのだろうか。
 1983年といえば昭和58年。初版から四半世紀が経過し、あと数年でバブルが到来し昭和が終わろうとしていた*1。 この平山氏の呼びかけを読むと、なんだかノラだけでなく、昭和の時代には未だそこにいた、町なかに暮らす普通のキチンとつつましい人たちまでが、ふっと向こう側へ姿を消してしまったような、もの悲しい感じをおぼえる。

*1:ついでに旺文社文庫そのものも間もなく廃刊になった。