音楽への長いためらいの短縮版

 年末にid:nadja5さんがご指名くださっていたらしいのに、どうやら自動トラックバックが受信されてなくて、気づくのが遅れましてすみません。そのうえこんな返事で申し訳ないですが、昨夏思いがけずミュージカルバトンを受け取った時に、けっこう苦心してひねり出した5曲、あれで勘弁してもらいたいです。(今回のは、もとを辿ってみると「自分の生涯におけるベストナンバー15曲で自分のアルバム作成、そのコンセプト、アーティスト名。」を挙げよという趣旨らしく、それにも当てはまっていませんが。)音楽について何か思い出そうとすると心痛むことのほうが多いし、それに音楽について言葉で言う(書く)のは私にとっては虚しいことです。なぜなら・・・


 [というようなことについて新年早々、私らしくネチネチと長文を書いてみたのですが、結局あまりにもくどいので泣く泣く大幅にカットいたしまして以下の2断片のみ。]


 昨秋、新聞で杉本博司というアーティストの紹介を読みました(2005年10月26日京都新聞「美の扉」)。森美術館で大きな回顧展があったそうなので、ご覧になった方もあるかもしれません。その杉本氏の〈劇場〉シリーズという作品の説明に驚きました。「映画をまるまる一本、写真に撮ったらどうなるか」という問いから始まったこの作品は、一本の映画が上映されるあいだ、スクリーンに向かってシャッターを開きっぱなしにしたカメラでおよそ二時間ぶんの光をフィルムに吸収・蓄積させるという方法で作られます。その結果、《白い闇とでも呼びたくなる》スクリーンがそこには映されており、《時間を一秒二十四コマに微分する映画が、逆に積分されて戻ってきて一枚の絵として示される》というのです。作者は、見るという行為と意識との関係をこのように作品化したということですが、これを読んだ時に私は「なるほど、こんな《映画の所有》のしかたもあるのか!」と感心したのです。

 映画は一定の速度で流れ去っていく時間芸術ではありますが、スチル写真やポスターという形でさまざまに切り取られ所有されることもあります。映画の中のある瞬間だけを、そういう形で手元にとどめることも可能です。というか、上の引用でいう《時間を一秒二十四コマに微分》した時点で、そのような所有を秘かに誘いかけているようにさえ見えます。
 そもそも映画とはそれ自体が、所有するという欲望の形態だと思います。ある世界なり大きな物語なりを、ひと巻きのフィルム(今ならディスクかもしれませんが)に封じ込めてこの手の上に載せてみたい。そういう映画の欲望を共感できるからこそ、所有欲の餓鬼たる私は多少なりとも映画を好きなのだと思います。

 
 そういえば、パスカル・キニャールの『音楽への憎しみ』という本があって、題名が前からずっと気になっているのですが、まだ何が書いてあるのかぜんぜん知りません。たぶんむずかしいことが書いてあって私が音楽を憎んでいる(笑)気持ちとはあまり関係はないんでしょうが、もし読んだ人いらっしゃったら感想をたずねてみたいと思います。中世ヨーロッパのローランド・カークみたいな絵が描かれている表紙も魅力的。