二十数年経過、やっと観た

 高校時代に教わった先生がこの映画を「生涯ベストワン」という感じで激賞していた。それ以来、気には留めていたものの今まで観るチャンスがなかった。
 詳しいストーリーは知らなかったので、人権/正義派弁護士が奔走して最後には勝つ・・・という『評決のとき』みたいな(話が逆か。)話を想像していたが、実際には「法廷もの」というよりは、子供時代の心の秘密を綴った、深みがあって苦くて甘い物語だった。さすがに古めかしい映画ではあるけれど、南部の田舎町のけだるいような雰囲気と、そんな中でもいきいきと動き回る子供たちの様子が対照的で面白い。語り手のスカウトは、「がんばれヘンリーくん」シリーズのラモーナを思い出させるおてんば娘。兄のジェムともども、父親をファーストネームで呼ぶちょっと風変わりな家族である。この父親=弁護士の役柄に、グレゴリー・ペックの鈍(ドン)くさい感じが似合っている。

 謎の隣人ブーが最後にやってしまったことは(たとえ正当防衛の域を超えていたとしても)、現在ならその「責任能力」が考慮され、法的には罪に問われない可能性が高そうに思う。でもこの物語の時代にはそのような結果は望めなかったのだろう(保安官は、法的な裁き以前の問題として私刑への危惧を口にする)。そんな時代だったからこそ、保安官が事実を胸にしまい込む(あえて「マネシツグミを殺す」ようなことはしない=それはsinだから。)ということが有り得た。制度が正義を保障してくれないぶん、個人ひとり一人の心がひそかにそれを補うというこの結末は、それが私刑の正当性を支える論理でもある以上、微妙で危うい。でもほんとうに人間らしいとはどういうことかという、いつの時代にも問われてよいテーマについて、さまざまに考えさせる。
 
 ロバート・デュヴァルの登場にはビックリ(『第三の男』のハリー・ライム出現に似た驚きが)!