バルカンの暗鬱なユーモア(続き)

四方田犬彦『見ることの塩 パレスチナセルビア紀行』(作品社) 読了。
これの続きです。

 この本、分量もお値段もやや大型のため、やむなく図書館で借りて読んだのですが、特に第3部などはもっと読み直したいところ。できればいずれ、ちくま学芸文庫なんかで手に入れやすくして下さらないかしらん。ついでに、意外と誤植が目についた(私の前に借りた人が、苛立たしげにエンピツで直しを入れていたのが笑えた)ので、文庫化のあかつきにはそのへんもよろしく・・

  • 空爆のさなか、ベオグラードの人々が自分たちの苦しい状況をも笑い飛ばすような言動をとっていたことは、他の場所でも読んだ憶えがある。「ここを狙え」的なスローガンを胸にプリントしたTシャツとか。空爆の時期を「あの頃ほど愉しかったことはなかった」と回想してみせる人々の、その「冗談めいた語りの背後に、かなり屈折した敗北感が横たわっていること」に気づいたと四方田氏は書いているが、4ディナールだった郵便料金がわずか1〜2年の間に3億ディナールになるという天文学的インフレが起きたと聞くと、「そりゃもう笑うしかなかったのかもしれんなぁ」と思ってしまう。クストリッツァの映画で見たヤケクソみたいな狂騒ぶりも似たような心理から発しているのか。

(...)昔からミトロヴィツァではアルバニア人セルビア人も仲よく暮らしてきたというのに、どうしてこんなことになってしまったのか、いまだに理由がわからないと、彼女はいった。(...)コソヴォにいるセルビア人は、ずっと長く生きているうちにだんだんアルバニア人みたいになってくるのよと彼女はいい、子供のときから食べてきたパンが今日は運よく手に入ったからと、食卓に出してくれた。それはアルバニア人が断食(ラマダン)の中休みの週末に食べるという特別のパンで、セルビア人の彼女にとっては失われた幸福な時代の記号であるように思われた。

 このあと四方田氏は、こっそり入手した国連治安維持部隊用の地図を拡げて見せる。そこには、彼女がおそらく永遠に訪ねることのできなくなった、かつて通いなれた地区の通りの名前が記されていた。そのひとつひとつを、懐かしげに読み上げる彼女の様子に氏が胸を打たれる場面は、この本の中でも最も哀切な箇所だった。

  • 本書の末尾近くで、四方田氏はユダヤ人とバルカン諸民族の共通点として、「西側」から偏見に満ちた眼差しで見られ語られ続けてきたことを挙げている。バルカンはヨーロッパの中のオリエント、野蛮な東方の国であり、「バルカン人は総じて淫乱であり、性的な無秩序が全地域を支配しているという映像が広く西側で信じられ」、小説や映画のなかでグロテスクに強調されてきた歴史があり、「ボスニアと聞けば集団レイプといったぐあいに(...)性的な文脈を誇張して報道され」る結果につながったという。このくだりを読んで、町山智浩さんが『ホステル』という映画を紹介する中で、いわゆる「欧米」からの東欧(『ホステル』ではスロヴァキア)に対するオリエンタリズムの視線を指摘していたのを思い出した。上に書いたような屈折したユーモアも、バルカンの人々が(同じヨーロッパと私なんかは思っていた)「西欧」の人々から“あちら側”扱いされていることに由来しているのだろうか。
  • パレスチナのラマラーで、またコソヴォのミトロヴィツァで、四方田氏は詩の朗読会に遭遇し、そこに集う人の熱気に感心し、詩が大切にされる文化的環境を羨ましくも思う。でも、戦争と混乱の中にあっても詩を忘れない人々の文化的豊かさへの感動よりも、文芸が愛好される社会が平和や寛容をなんら保障するものではないという苦さのほうが、私にはより強くこみ上げてきた。
  • 本書のタイトルは、エピグラムにもなっている高橋睦郎の《私の見ることは 塩である/私の見ることには 癒しがない》という詩句から採られたものだが、四方田氏はこの詩句を、ボスニア戦争を通じて最も激しい戦闘が繰り返された場所だという、ヘルツェゴビナの首都モスタルを歩き回るうちに思い出す。「目に留まるもののすべてが廃墟であるという現実を前に、嫌気が差してきたのだ」。私にはこの詩句は難解で、引用された範囲内ではその意味するところを理解できないのだが、四方田氏はここで、現実をまざまざと見せつけられることの苦痛と、しかし見ないではいられない・真実を求めずにはいられないという「業」を思っているのだろう。「塩」は甘く美味なものではなく、生命にとって端的に必要であり、摂取せざるを得ないものだから。