無闇に暑い

 古川日出男『13』(角川文庫) 読了。


 あー暑苦しかった。言葉の力で、無いものをあらしめるというのは分かるけど、ちょっと書きすぎ、説明過多の感あり。だんだん「もういいもういい、10言われたら7ぐらい聞いとけばいいか」という、ヤル気のない学生みたいな気分になってきてしまった。変な文章はほとんどないところはさすがだけど。
 あんなふうなわけで多重人格が生まれ/解消するのかという点も、登場人物が都合良く超人的でいろんなことが都合良く起きる点も、推進力で納得させられるはずのところだけど、スピードよりむしろ説明が濃すぎてゲンナリするほうが先になってしまった。体力不足でごめんね。

 音楽のことを言葉で語るというのがそもそも無理な上に、描写されている音楽自体があり得ないというか「たぶん無い音楽」なので、こちらがここ数年来ある種の音楽的不能状態にあることも手伝って、身体的無力感と苛立ちが起こる。どうしても思い描けないよ頭の中ではその音楽が・・・と脳がもがき苦しむこと幾たび(『沈黙』も、あり得ない音楽について延々語られる話だったと記憶しているがどうだったか・・・)。女優のココが『音楽考古学とはなにか』という本を読む場面があるが、失われた不可能な音楽を探る作業はけっきょく答えに行き着くことがない(ココは視覚情報として記録された音楽を手がかりに演じることにする)。ヒトの祖型としてのサル、人類の原型としての森の民、どちらも無惨に蹂躙される運命にある。もしかしたら、「それは無い」ということを思い知るために、始源への遡行の試みが繰り返されるのかもしれない。それでも、響一は深い森の中で一度死んで「色」になって再生し(そしてそれについて語り過ぎ(笑))、ローミはその子と共に、もうひとつの人格の死をくぐりぬけて根源的な「霊」を幻視する。立ち戻ることはできず(響一の生家はもう彼の家ではなく)、新たに生まれ出ることだけが可能という結末、それを最後には視覚へ収束する話として描いたのがこの小説なのだ。

 以前に『幻想文学』で「神秘文学」の特集号というのがあった時に、「神秘文学って・・・?」と思ったが、この小説はまさにそれという気がした。力のこもった激烈な小説ではあるが、ここで起きる事態、人物の心情、ちょっとした光景、どこをとってもいかなる形でも自分になんら関わりがある(あった)とは感じられないという意味で、たいへん退屈な小説でもあった。これも今となっては著者にとって初期作品なわけで、こんなのを書き下ろしで出す出版社もわりと偉いと思ったわ。とうとう文庫化成った『アラビアの・・』は必ず読むとして、更にそれ以後の作品も読むかどうかは・・・改めて考える。