古き良き非在の町

ゼナ・ヘンダースン『ページをめくれば』読了。

 せっかくブリーダー登録したので、可愛い書影を載せてみよう。


 久しぶりに「奇想コレクション」の一冊。恩田陸の『常野物語』が、この著者の「ピープル」シリーズを念頭に置いたものだと聞いて関心はあったのだけど、その「ピープル」シリーズというのはとっくに入手不可能だと思いこんでいた。『果しなき旅路』(ハヤカワ文庫)は今でも買えるんですね。まぁそれはそれとして、タイトルも魅惑的なこの『ページをめくれば』。
 冒頭に置かれた「忘れられないこと」の舞台にまず心ひかれる。アリゾナ州(=作者の出身地)と聞くと、(肉&油臭いテキサスや荒々しく埃っぽいニューメキシコのイメージとは異質の)非現実的なほど乾ききった不思議な砂漠を想像してしまう。

二本のハイウェイにはさまれているものの、そのハイウェイを通る車の運転者たちは、ここにわたしたちが住んでいることすら知らないだろう。早朝、静かな教室をのぞきこむと、百マイル以内に文明があることさえ信じられなくなる。ねじれて矮小なオークの木々の長い影が、峡谷のなかばを埋めているオレンジ色がかった金色の砂の上に、くっきりとのびている。砂はほとんど乾いているが、ところどころ湿って塚のように盛りあがっている箇所もある。崖がけわしくなって植物が育たなくなるあたりまで、ツツジ科のマンザニタがもつれあっておい茂っている。

 近くに「数学応用研究所」がありその職員の家族が住んでいるため、たった十五人の生徒からなる学校が存在する。そこで教師を務める語り手のもとに、ある日風変わりな転入生がやって来た・・・
 このあと起こる出来事はちょっとスケールが大きすぎて(?)私としてはアレレだったのだけど。先生はたぶんウェストを絞ってあって裾が少し広がった、襟付きのきちんとしたワンピースを着ているんだろうな。他の物語も、砂漠の向こうに揺らめいて消えた、古き良き1950〜60年代アメリカの幻を見るようにして読んだ。

 巻末の解説に、「先生、知ってる?」は(ヘンダースンが)教師として救えなかった子供たちの記憶が書かせた作品だろうと書いてあったが、同様に、「信じる子」を読んで私は、ここには例えばアスペルガー症候群のような、ある種の問題を抱えた子供に関する記憶が埋め込まれているのではないかと思った。

「この子には真実を教えてやって下さい。娘は信じる子ですから」

と母親が言い置いていった転入生ディズミーは、いじめっ子たちの脅しやからかいを本気に受け取っておびえる。そしてその「信じてしまう」力がやがて反転したとき、怖ろしいことが実際に起きてしまう。冗談や例え話がそれと分からず言葉のまま受け取ってしまう、作者ヘンダースンも教師として一度はそんな子供に遭遇したことがあるに違いない。それが「障害」であるという認識が当時の教師にあったかどうか?そんな子供の不可解な言動や、(「障害」の代償のように)時々見せる驚くような特別な能力が、魔法のように見えたとしてもおかしくないような気がする。

 表題作は、美しいのだけど切々とし過ぎていてちょっとね・・・。私としては「忘れられないこと」以外ではハッピーエンドな「光るもの」「小委員会」が気に入った。