「おもたせ」の衝撃その3

  (画像は■■ clef ■■から拝借しました)


 11/12に書いたことの続き、まだぼやいてます(でもやっとお終い)。


 来客が持ってきたケーキを出さなかったとして、「気の利かない鈍い人」呼ばわりぐらいで済めばマシなのかもしれない・・と思ったのは、【お土産のケーキを出さないのは普通? : 発言小町 : 大手小町 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)】の中に、こんな回答があったから。

今回のお友達はマナー違反ということはないけれども、ちょっと配慮の足りない人、
もしくはちゃっかり者なのかな、と思います。

でも小町を見ていると持参した高い洋菓子などはしまわれて、家にある残り物のお菓子を出された、なんて例がたくさんあるようですから、

 ウェブ掲示板への面白半分の書き込みをあまり真に受けることもないのかもしれませんが、これは怖い。うっかり手みやげを受け取ったばかりに、こんなふうに貶められる可能性もあると思うと、horrorです。
 数年前に、とある地域フリーペーパーで、結婚披露宴に招かれ《ご祝儀を○万円も包んだのに、料理や引き出物がとてもショボかった。ほんとに常識の無い失礼な人がいるものだと呆れました》という感じの、一点の恥じるところもないという正々堂々とした調子で、100%マジで憤慨している*1投書を読んだことがあって、「何とガラの悪い女の人がいるものだ」と思ったけれど、それに似た衝撃を、上に引用した回答には感じました。


[類似の話題]

 ところで、前の記事に引用した「発言小町」でのやりとりより数年早く、ここ↓で似た話題が出ていたのを、後から見つけました。


【教えて!goo おかしいのでしょうか?】

  質問

つまらない質問なのですが、たとえば知り合いの人が旅行などに行ってお土産を買って持ってきてくれますよね。その時にそのお土産が開けてすぐ食べられる「お菓子」とかの場合、知り合いの人を交えてそのお土産を食べるのはおかしいのですか??何かの雑誌で「感じ悪い行為」と書いてあったので・・・どうなのでしょう?

  寄せられた回答:例1

一昔前のマナーの本などでは、お客さんの持ってきてくれたお土産をその場で茶菓子にするのは「お持たせ」と言って「まるで客がお土産を持ってくるのをあてにしていたようだ」ということで客を迎える側としてマナーに反するということになっていました。
特に昔はお土産と言えばようかん・もなかなどのように「その場で開けて食べなくても日持ちするもの」を持って行くのが当たり前でしたから。
しかし最近は「みんなで食べよう」という前提でケーキのようななま物をお土産にするお客さんも多いですし、持ってきたお客さんが「みんなですぐに食べようと思って買ってきたのよ。どうぞ開けてちょうだい」と言って下さっている場合には、それを振りきってまでも自分ちの用意した茶菓子を出さなくても、という風に変わりつつありますね。

  寄せられた回答:例2

「感じ悪い行為」と書いた人は、一般的な世間的常識に欠けた人でしょう。
日本では戦前の昔でさえも、他人行儀でない間柄の場合にはお土産の戴き物であっても「お持たせですが・・・」という便利な言葉があって、お菓子でも果物でもひろげて皆さんで一緒に賞味する事がありました。聞きなれない言葉かもしれませんが、ぜひ今度からはそのような場面で「お持たせですが・・・」と言ってお出ししてみては如何でしょう!

 同じ「お持たせ」という言葉を知っていても、

  • 「昔はそれを"お持たせ"と言って失礼なこととしていた」と考える人

  • 「昔から"お持たせ(ですが・・・)"という言葉があるぐらいなのだから、出しても何ら失礼などなく、感じ悪いなんて言ってる人こそ非常識」と考える人

がある、という点が非常に面白いというか笑撃的。そして、「ケーキを出すか否か」のような問題の微妙さ・難しさの一面を象徴している気もします。
 まぁ【発言小町】も【教えて!goo】も、片方の意見一色に染まってしまうことなく一応いろんな見方が提示されているという意味で、全体としては救いのある内容ではあるのですが・・・。


 スタートに戻って考えてみるに、「お持たせ」ということばが単なる「手みやげ」の意味で使われている実態は、さいしょ私が感じたような、「本来の意味を知らない人によるカン違い用法」とばかり言えないのかもしれません。
 ごく親しい友人などを訪ねる際、ケーキを買って持ち込み一緒に楽しく食べるというカジュアルな&しかしお金はそれなりにかかり一定の市場を生み出すほどの社交(大げさ)は、昔とは比較にならないほどの規模と頻度で行われているでしょう。その一方、客間に通されても薦められるまでは座布団をはずして待つ(笑)というような堅苦しい正式な訪問の機会は殆ど無くなった。
 その結果、「お持たせ失礼ですが」という意識そのものが薄れてしまい、言い回しの残存部分だけが別の使い途を背負わされて生きながらえることになったのも、まぁしかたのない結果なのかな、という気もしてきました。


 ただ、「お持たせ」の件に限らず、今までのいわゆる一般社会に無かったような語法とかマナーや「常識」が、多くはネットの力によって凄いスピードで(←ここ重要、これまでも社会の変化に伴って、新しいマナーや常識の形成ということは勿論あったわけだが、普通に暮らしていれば自然とそれを感じ取りフォローできるような移り変わりだったはず。)出来上がってしまうケースはこれから増えるいっぽうでしょう。まさかそんな事になっているとは思わない私のような者が、「非常識」として軽蔑されたり憎まれたりすることは十分考えられます。それはやっぱりちょっと怖いなと思ったのでした。
 (ふー、長々と書きました。最後まで読んで下さった人がもし居られたら、どうもありがとうございます&お疲れさまでした(^^;)ゞ)

*1:そりゃそういう感想を持つこともあるでしょうが、あくまでも「こんなこと言っていやらしいんだけどさ・・」という自嘲の笑いと共に冗談めかして友人同士で囁き合うとか、「そんな損得勘定をしている浅ましいワタシ」への相対化の視線(笑)というか、エクスキューズ抜きでは普通口にはしない性質の話だと思う