邪悪なやつほど忍耐強い


T・E・D・クライン『復活の儀式』上・下(創元推理文庫)読了。

復活の儀式 上
T.E.D.クライン著 / 大瀧 啓裕訳
東京創元社 (2004.5)

復活の儀式 下
T.E.D.クライン著 / 大瀧 啓裕訳
東京創元社 (2004.5)

 うーん重々しぃ〜、こういうのを「悠揚迫らぬ」というんですかね・・と思っていたら、あとがきで訳者の大瀧啓裕氏がまさにそう形容してました。上・下巻計900ページのうち、[第1章 前兆]が終わったところで既に上巻の半ば。最後の50ページで俄然ホラーらしくなって、次々怖いことが起こり急展開、最後はクライマックスの直後にややあっけなく締めくくられてしまうので、ねばり強く読み終えた人もちょっと物足りないのでは(私はそうだった)。


 数千年の昔からニュージャージーの森に存在した邪悪な存在が、特別な夜に復活せんとして、ひとりまたひとりと手駒を準備していく。
 怪しい老人からまず狙われるのが、ニューヨークに出てきたばかりの、貧しく孤独で身持ちの堅い娘キャロル。育った環境のおかげで信心深いのだけど、今の生活には信仰もあまり助けにならなくてやや失望ぎみ。老人にいかにも妖しい歌や踊りを教え込まれ続ける(←儀式に必要なので老人も必死)あたりで、「いいかげん気づけ!おかしいやろ!」と読者は思うが純朴な彼女は疑うことを知らない。
 いっぽう、老人の企みで彼女と出会うよう仕向けられるのが、もうすぐ30歳離婚歴有りのさえない大学講師ジェラミイ*1。ごく世俗的なユダヤ人、小デブであまり勤勉でもなさそう。秋からの講義の準備として、ニュージャージーの辺鄙な農家に間借りして読書三昧の夏を過ごそうと計画するが、その農場周辺こそが、「老いた者」が画策している復活の儀式の場なのだ。


 そこはあるちょっと特殊な信仰(アーミッシュみたいな)を持つ少数の者が昔から住みついている、小さな信仰共同体のような村。若いポーロス夫妻(夫のサー、妻のデボラ)が、現金収入を得ようと鶏小屋を下宿用に改造して、住まわせることになったのがジェラミイなのだが、ヨソ者しかも不信心者を受け入れること自体が多くの村人には気にくわない。そもそも一度は村を捨てて都会へ出たサー、その都会で知り合って連れ帰ったデボラも村人から全面的に信頼されているわけではない。
 ここには敬虔さのグラデーションみたいなものが描かれている。狂信的とみえるほど昔ふうの考えを守っている村人たち>ちょっと都会を味わったサー>さらに奔放で危ういところのある妻デボラ>信心深いけれど都会生活に染まりつつある田舎娘キャロル>堕落しきった(?)ニューヨーカーのジェラミー、というふうに*2。そしてそれぞれが濃淡の差はあれ互いに(夫妻の間でさえも)違和と不快を感じている。そんなさまざまな信心の度合いを持つ人々が一緒に生活し始めると何が起きるのか、という現実的な人間ドラマの面白さもあります。主題である忌まわしい存在や復活の企みとは別の怖さ。


 ジェラミイはなんとかしてキャロルと寝られないものか、スキあらばデボラとも・・とかそんなことばっかり考えてるし、秋にゴシック・ロマンスについて講義をする(更には論文も予定)というのに、この夏休みに読みはじめる本のリストが、国書刊行会系(?)の中ではどちらかといえば基本図書じゃないのかと思われる書目から始まっていて、今ごろそこから読み始めるなんてちょっと付け焼き刃では・・・と思ってしまう。(まぁそれで素早く授業や論文がでっち上げられるという意味ではスマートで要領がいい人物なのかも知れないが)なんだか厚かましくて鈍重というイメージが拭えない。でもそのわりには、農場周辺で不穏な空気が高まっているのを割合早くから感じているあたり、意外にも敏感らしい(ちなみに虫嫌いで猫毛アレルギー、やはり都会っ子は敏感)。彼の独白体(日記を付けているという設定)がたびたび出てくるのだが、どうもこのジェラミイの人物像がすっきり納得しにくかった。でも感情移入できないのは他の登場人物も皆同じで、誰にもあまり好感は持てないままどんどん小説は進行し、けっきょくこの鈍感で不信心で俗物の小デブが、邪悪な者の復活を阻止するわけ。

 長いし展開がゆっくりなのは事実、それでも退屈するよりも「ささ、どうなるの次は?」と知りたくて最後まで引っぱられて読めるだけの面白さはあった。ニューヨークと農村を行き来する視点、いっぱい出てくる植物や鳥の名前や風景も読みごたえがある*3。でも、読み終えて訳者あとがきを見たら、「燻製小屋の雀蜂が・・・」「浜辺へ連れて行ったのが・・・」など訳者が感心しているポイントがどれもぴんと来なかったので、なんだ読めてなかったのか私。と少しガッカリ。それともうひとつ気になったのは、前にちょっと書いたミセス・ポーロス(「老いた者」の企みを察知し理解できる特殊能力者)が、最後いったいどうなったのか書かれてないところ。察しろということだろうけど、もう少しなんとかしてほしかった。期待できるキャラだったのに。

*1:ふつうジェレミーと表記される名前と思うけど、大瀧ダンディズムではこうなる

*2:サーの母親ミセス・ポーロスすら、異教的で邪悪な存在を真に知るという点で、共同体との間には一定の距離がある。

*3:そうそう、猫も多数出てくる。でも猫ちゃんまで○○○に○○○○れるなんて!(涙)