生きていることの逞しいずうずうしさ

 まとめて読了。

秘密の花園 (光文社古典新訳文庫)

秘密の花園 (光文社古典新訳文庫)

『秘密の花園』ノート (岩波ブックレット)

『秘密の花園』ノート (岩波ブックレット)

 光文社の新訳文庫版が出た時に買ってそのまま放置してあったのを、梨木氏の『ノート』が出たのであわてて一緒に読んだ。そもそも『秘密の花園』を、子供時代にも成人してからも「読みたいなぁ」と思ったことは一度も無く、むしろ「読んでおかなきゃなー」という気分になったのは、金井美恵子の『噂の娘』を読んだからである。

噂の娘

噂の娘

 あの小説のなかで、子供であった語り手の読んだ『秘密の花園』が、記憶の反芻のように幾度となく繰りかえし「引用」される…と言ってしまいそうになるが、どうやらあれは引用ではなくて*1、読書の記憶が腫瘍化したというか、読んだものが「発症」したと表現したいような、ぶきみに変形した『秘密の花園』だった…らしい。よくおぼえてないけど(汗笑)。『噂の娘』を開いてみたら良いんだけど、なんか、確かめるのも怖い *2はまだゆるやかな進行だが、しだいにぐいぐいと状況が移り変わる。とうぜん与えられるべき愛情や養育を殆どほどこされることなく、ひねこびて無感動な可愛げの無い子供に育った主人公のメアリや、同じような環境で育った従弟で、わがままな癇癪持ちのコリンが、ふとしたきっかけであんなにスクスクと「育ち」はじめるのなら世話無いよ…と言いたくなったりして。メアリやコリンだけでなく作者もそうとう性急であつかましいわ!最終章では決定的にスピリチュアル(?)な現象まで起きるのでちょっと驚く。


 梨木氏の指摘する、「父親の不在」というポイントを読んで思ったのだけど、けっきょくこの物語に書かれているのは「母が救う」ということばかり。ディコンの母親で、母性の塊、地上のマリア様みたいなスーザンはもちろんだが、メアリがコリンに対してつとめる役割も、小さな母親のようだ。話を聞いてやり理解してやり、教え導き、叱咤激励し、屋敷内や庭園に関する情報を(コントロールして)与える。そして梨木氏も書いているとおり、結末近くコリンが大きく成長した姿を見せる辺りでは、気がつけばメアリの姿はつつましく小さく背景へ遠のいている。
 対して、コリンはいったい自分以外の誰を何を救っただろう?(父親のクレイヴン氏?それはそうかもしれないけれど)コリンの「自立」を促したものの一つはたしかに、父親であるクレイヴン氏の存在(あるいは不在)であるが、クレイヴン氏が「父性」を獲得したのかどうかは最後まで心もとないままである。男性登場人物たちは、けっきょく誰かのための何かであることはない(できない)のか。メアリの父親が彼女に残したものは、クレイヴン氏との姻戚関係と、それによって可能になった屋敷や庭との出会いである、という梨木氏の分析は強烈な皮肉に感じられる。
 あと、「父親」よりよっぽど重要な登場キャラが「コマドリ」というところは大いに気に入りました。

*1:『噂の娘』を読んでいる最中に、自分がどこまでそう認識していたかは不明

*2:;゜Д゜))))ガクガクブルブル 。  というわけで、私が『噂の娘』のなかで『秘密の花園』だと思って読んだもの、とは(たぶん)似ても似つかぬ本家『秘密の花園』は、やはり昔の小説だけあってかなり強引な展開と唐突な終幕をそなえた、ちょっとふしぎな作品だった。  まったく知らない叔父に引き取られることになり、その宏壮な屋敷に向けて馬車で旅をする孤児の少女…というあたり((まるで『荊の城』みたい!というのはもちろん話が逆