やっと読めた『椿井文書』(20200524読了)

10年以上前にたまたま新聞記事で読んで、気になっていた「椿井文書」
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↑ この日記の時点では「枚方市立中央図書館市史資料専門調査員」という肩書であった、 現在は大阪大谷大学文学部准教授の馬部隆弘さんが、一般向きの新書を書かれたので、おおよそのことが(たぶん)理解できた。



これより先に昨年、同じ著者のもっと専門的な本が出ていて

由緒・偽文書と地域社会―北河内を中心に

由緒・偽文書と地域社会―北河内を中心に

  • 作者:馬部隆弘
  • 発売日: 2019/02/28
  • メディア: 単行本

ここでも椿井文書のことは取り上げられているだろうとは思ったものの、さすがにこちらは自分のような者が読む本ではないと思ってスルー…

しかし新書という手に取りやすい形で読むことができるようになるとは、正直いって予想していなかったので少し驚いた。今回の出版をきっかけに、著者である馬部隆弘さんのインタビュー記事もあちこちの媒体に掲載され、ネットでも読むことができるので、更に関心を持つ人も増えるだろう。
『椿井文書―日本最大級の偽文書』/馬部隆弘インタビュー|web中公新書



椿井政隆がデッチ上げた由緒書や絵図などを、真に受けて〜〜市史や〇〇町史に載せてしまったり史碑を建てたりしてしまっている所がたくさんあるらしく、本の中にも実例がいくつか挙げられている。京都府を中心とした近畿地方が椿井の主な活動エリアだっただけに、だまされて(?)いる自治体のリストを見ていると、私たちの住んだことのある自治体も含まれていて「アァーっ、△▷市もだまされてはる〜(笑)」などという楽しみ方も。逆に、著者の研究成果などをちゃんと受け入れて再検討し、偽造資料であることを注記したうえで掲載している自治体もあり、それぞれの文化行政に対する意識のレベルが問われてしまうテーマでもある。国による文書の改竄や廃棄という事件が起きた我々のリアルタイムを考えあわせても、単に「文書が残っているから」「こう書いてあるから」ではなく、なぜその文書が残っているのか、そう書き残されているという事実は何を意味するのか、逆に残されていないという事実自体が何かを示す可能性など、メタ視点で(古)文書をみることの必要性を教えられる。


ところで、最初にリンクした11年前の自分のはてなダイアリーで言及している、京都新聞の記事。自分では切抜きを保存しそびれたとばかり思い込んでいたが、ちょっと思い違いをしていて、別の場所にちゃんと残っていたことが今般ついでに判明。改めて見ると、憶えていた印象よりずっと詳しい内容に加えてちゃんとカラーで図版も入って、京都新聞の記者もそうとう力を入れた記事だと思われる。先見の明と言えるのでは!

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自分の物持ちの良さに改めて感心 11年前の新聞切り抜き

“キモノショップinイングランド” その後

約11年前に、自分のはてなダイアリーに書いた駄記事*1
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当時はこの作品の日本語翻訳が出たことがあるのかよく知らないまま書いていましたが、このたびめでたく出るらしいです。


H・G・ウェルズが、自身の青少年時代を投影しコミカルに描いた自伝的長編。『ポリー氏の人生』が、本邦初訳で刊行決定!》
www.fukkan.com


問題の、たぶんdraperだと思われる業種を示す単語は、この紹介文では「服地商」と訳されているみたい。
そらそうですよねー。

*1:記事本体は駄ですが、ためになるコメントをいただいております

消去、忘却

 京都新聞のサイトに、(感心なことに)かなり長いあいだ残っていた記事。2、3日前に見に行ったらとうとう消えていた。大事なものがだんだん消えていく。かろうじてGoogleに残されていたキャッシュ:

webcache.googleusercontent.com



5年経ったのか。切り抜きは残しているはずなので、これからもときどき読み返そうと思う。

日本の音


 先日読み終えた、片山杜秀『平成精神史』のなかで、印象に残った箇所がある。こんにちの日本会議の前身である2つの右派団体が、もともとかなり性格が異なるにも拘わらず結びつくことができた要因として、黛敏郎の人脈が果たした役割が大きいという説明がされる。それにつづいて、ストラヴィンスキーメシアンなどに影響を受けパリ仕込みの現代音楽家として出発した黛が、日本的なものを特色とする作曲家へ移行していったひとつのきっかけが、京都で触れた“音”であると明かされているところ。


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片山杜秀『平成精神史』より



 そんな『平成精神史』読了から数日後、たまたま(常に)部屋に溜まっている古い出版PR誌の山を少しでも消化するためノロノロとページを繰っていた際に、2012年頃?の『図書』に掲載されていた近藤譲のエッセイが眼にとまった。こちらは京都ではなく、風の強い日に奈良の法隆寺で鳴り響く風鐸の音に魅せられたのが伏線となり、やがてカウベルの音を“溺愛”するようになったという回想。

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岩波書店『図書』より 近藤譲のエッセイ


 同じ日本の現代音楽といっても、黛敏郎近藤譲はだいぶ感じの違う作曲家じゃないか(←聴かずに書いてる)と思うけれど、そして、近藤譲法隆寺で風鐸の音を聴いたからといって“日本回帰”はしてなさそうだけれど、この2人がちょっと似たところのあるエピソードを持っていることを偶然発見したのがなんだか不思議で、ここに並べてみたくなった。


〔20191120追記〕
『図書』の、ちょうど当該箇所がネットで読めるようになっていたので(いつまで有効かわかりませんが)、リンクします。

tanemaki.iwanami.co.jp

手提げ袋、この冬の新作

ひさしぶりに、手提げ袋を製作した。
Twitterのほうにはときどき「10年放置したクロスステッチを発作的に手提げ袋に仕立てる」と題して写真をアップしていたものの、最近はめんどくさくて & 布地の色柄そのものが気に入って購入したため刺しゅうと組み合わせるよりもシンプルなほうが望ましくそのまま仕立てたものが続いた。だから、刺しゅう入りの手提げはほんとに久しぶりかも。

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ステッチ図案は、The Drawn Thread のフリーチャート、"First Snow"を使用 (← 現在も公開されてます)。いかにも冬らしい図案なので、なんとかクリスマスに持つのに間に合わせようとがんばった。
表地は、日本ヴォーグ社のカタログ通販で購入した moda fabrics の "seeing stars" という布。定番柄のようで、カラーバリエーションがたくさん出ている。この布を見つけたので、やっとこの刺しゅう布を使う時機が来た、と決意した次第……

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裏地は日本製。ルシアンの mémoire à Paris というコレクションの布らしい(← いまのラインアップにはこの柄は含まれていないようだが ←1/20追記:見落としていたようです。まだ載ってました。 https://e-shop.lecien.co.jp/catalog/category/20722/F40742/ 他の柄もとてもきれい)。手芸店で見つけて、あまりの可愛さに使うあてもないまま購入してあったもの。今回、表地が地味なので裏は少し明るくしたかったのと、動物つながりで小鳥さん以外の小動物が入るのもちょうどいいのでは?と思ってこれを使ってみた。裏側だけ春っぽく。

表裏とも、やや薄手の布なので、持ち手部分や内ポケットが早く傷むかもというのだけが心配。特にポケットは二重にするなど工夫の余地があったなというのが反省点である。

亥年の今年も護王神社へ初詣

ことしも母といっしょに護王神社へ初詣に行った(4年連続)。

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さすがに亥年である今年はいつにも増して人出が多かったようで、神社にたどり着いてみると、敷地の外周に張られたロープに沿って入場待ちの行列を作ることになっており、境内に入るとこんどは本殿に参る順番待ちの列が出来ている。ガードマンも多数配置されていた。
私たちはここへ詣でる日を年々早めており、正月四日というのは初めてだったので、これまでほんとうのお正月の混雑に出会っていなかったのか…とも思ったのだが、驚いていたのは私たちだけではなく、並びなさいと言われて「えーッ?!」と声を上げる人が続出していたので、やはり今年はちょっと特別なことだったみたい。

ともあれ、無事に絵馬を奉納。裏面は、大切な人の健康と活躍を祈願する、毎年おなじ文面である。

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自分用には、やはり毎年お守りを購入している。いろいろな種類があるが、買いたいものはそろそろ出尽くして来たので、今回はちょっと違うタイプのものにしてみた。

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カードホルダに対応した現代的なサイズ(笑)

べつに職場に危機が満ちているというわけでもないが、難を除いてくれるというのだから悪くはないだろう。裏面の使用法説明(?)が笑える。


お参りのあとは、少し歩いて「とらや」へお茶とお菓子をいただきに行った。

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表面のカルメラのさくさく感が珍しい「暁光」とお抹茶

静かな店内の窓ぎわで、あかるいお庭を眺めながらゆったりと味わうお茶とお菓子、なんという贅沢。あー、ことしも穏やかな一年でありますように。


〜〜おまけ
昨年 2018 の初詣ツイート:

一昨年 2017 の初詣ツイート:

記憶のなかの〔朧な〕極彩色

 ネット書店に注文した本。

前川佐美雄 (コレクション日本歌人選)

前川佐美雄 (コレクション日本歌人選)

 前川の作品がどうしても読みたいわけではなく、楠見朋彦が筆者だというのでそれじゃあ…と購入してみた。

 前川佐美雄といえば、たしか高校の国語の授業で……とここまで書きかけて、今、ホントに今、いやそうじゃないのでは?!…と忽然と思い出した気がするんだけど、あれはもっと後になってから塚本邦雄のエッセイかなにかで紹介されているのを読んだのではなかったか?!  もう、どれが事実か思い出せない、けど歌だけははっきり憶えている
《思ひ出は孔雀の羽とうちひらき飽くなき貪婪の島へかへらむ》
 この歌の作者として知っている、ただそれだけで、どういう歌人なのかろくに知りもしない。

 この、“記憶のなかの《思ひ出》の歌” を文字の形で手もとに所有したい、と思って今回の本を買ってみたのだが、ざっとめくってみた限りでは、なんと、この歌は収録されていないようだ。
 確かに前川佐美雄の歌だったよな?…と不安になりGoogle検索してみたが、出てきたのはブログ記事1件のみ。

kaorusz.exblog.jp


 代表作というわけではなかったのか。選ばれて教科書に載っていたかのように自分の記憶を捏造していたから、勝手に重要作と思い込んだが、そうじゃなかったのならべつに不思議でもない。
 たぶん私の記憶のなかにはプラスチック製の模造孔雀羽根みたいなものがぎっしりつまっていて、華麗なようでどうにも俗悪な暈のかかった色彩を放っているにちがいない。そんな記憶を頼みに、さてどこの島へ向かって船を出そうというのやら…