むりやりつなげるあれこれ:その1

 本橋哲也編『格闘する思想』 (平凡社新書) 読了。


 新刊本の広告や、新聞に載る単発の評論文などでかろうじて名前だけは知っている人たち(海妻径子さんだけは名前も初めて見た)、どんなことを言っている人なのか少しはわかるかも、と思ってショーケース的読書。

 よく知らないけどなんか凄そうだな…と思っていた廣瀬氏がやっぱり一番面白そうでした。同じくらい私が興味を持っていた白石氏と廣瀬氏とでは、ベイシック・インカムに対する態度がわりとはっきり違っているのが新たな発見(廣瀬氏のほうはかなり懐疑的というか距離を取ってる感じ)。

 廣瀬:(ブラジルで成立した市民基本所得法に関して)要するに、「答え」としてのベーシック・インカムは放っておいても実現されるだろうし、運動には何のかかわりもないということです。それどころかむしろ、(反グローバリゼーション的な)運動を積極的に解体するものとなる可能性すらはらんでいるといえるでしょう。大統領と各家庭とが直接的なパトロン・クライアント関係で結ばれ、運動など出る幕もなくなってしまうというようなことです。

 ↑「問題提起」である限りは面白いけど、実現してしまってはオシマイだという感じ?

 白石:ベーシック・インカムが導入されると、働かなくなるという人もいます。失礼な話です。子育ては典型でしょうが、これまで一銭も支払われなくてもやってきた。多くの芸術活動のたぐいもそうですね。すごく苦しくても、やりたい人はやる。人間の現実をなめてはいけない。ベーシック・インカムによって働かなくなるのではない。無理やり働かせることができなくなる。ベーシック・インカムに抵抗感がある人は、自分が何をもくろんでいるか胸に手をあてて考えるべきです。

 ↑最後のフレーズがいいです。

 白石:ベーシック・インカムの大切なところは、通貨をわれわれの手に取り戻すということです。健康保険があたりまえになったように、やがてなぜあんなに銀行に借金を返すためだけにあくせくしていたのかと、笑って言える日が来ると思いますね。
 本橋:世の中いい方向に向かっていると。
 白石:いい方向に向かっている。もうそれは基本ですよね(笑)。

 ↑みょうに明るい白石氏。どちらにせよ、二人とも、また読んでみたい気がする。


 それから、本田氏の提唱する「柔らかい鎧」としての「柔軟な専門性」、より包括的で一般的な知識やスキルに繋げていくための「入り口」・「応用のための基本」としての専門性、という考え方。
 廣瀬氏の「なぜ大学では教養科目から専門科目へ進むという順番になっているのか」、「そこではあたかも人間というのが『すべてを語る』存在から『一つのことだけを語る』存在へと成長していくものであるかのようにみなされている」「教養/専門の順序は逆転されるべきなのです」との問い/批判も、本田氏のそれとは違う意味で提出されているのだけど、専門性と普遍(一般)性について考えさせるという点では共通するものがある。
 「すべての人がすべてについて語るのが民主主義」、という廣瀬氏のテーマは魅力的であると同時に、ただ一つのことに精通した「専門家」だけにその一つのことを語らせておいた結果を突きつけられてきたこの3ヵ月のあとでは、「いつでも誰もがすべてを語っていいのだ」と繰り返し言い続けなくてはならないという気がする。ついでに、自分も「専門的なことは知らないから…」とか当たり前のことを言い訳にせず、順序が逆でもなんでも語ってやろう、と明るく開き直る気分になるのであった。