眼が楽しい一日

 すがすがしい気候の連休初日。JR京都駅の観光案内所に朝からあふれかえる観光客の群に驚き、あわてて市バスに乗り込んで出発。

 ほぼ山口晃めあて、あとは実見するのは初めての鴻池朋子を楽しみに出かけた。天明屋尚、上田順平の作品、それに山本太郎にも(私の思うところの)ヤンキーテイストを感じ、この感じは何なんだろう…としばし立ち止まってしまう。ただの悪趣味・キッチュというのとはどこか少し違う気がするんだけど。池田学がわりと好みだと発見したが、買って帰りたくなったのはポストカード一枚だけ。総じて、複製や印刷が当たり前なはずの現代作品なのに、やはり実物でないと、意外なほどぜんぜんその場の印象が蘇らないのだった。鴻池朋子のmimioは、今回展示されていたアニメーションよりも、ちょっと前に図書館で眺めた絵本のほうが好きだったような気がする。

 あいかわらず、大破壊や終末戦争を想起させるような絵柄を見るとギクッとしてしまう半年来の悪習慣が出るのだが、よくみれば作品の日付は2年くらい前のものが多く、あたりまえのことだが、アーティストはべつに大災害があったからすぐさま反応してあれこれ作るというわけではなく、逆に、なにも特別なことはないと多くの人が思って日常を暮らしている時期だって、恐ろしいイメージを膨らませ続け、作品に焼きつけ続けるものだ。会場で販売されていた作品集などを手に取り、同じモチーフを執拗に繰り返し描きつづけている作家のありかたを確認して、ある意味でホッとする。


 以前になにかのきっかけでピサンキ作家の人のウェブサイトを見かけたまま、ブックマークもしそびれたのか、その後探すこともせずにおいてしまった。それがたぶんこのかただったのだと思う。
 今回、眺めているだけで気持ちのどこかが暖かくなるようなピサンキだけでなく、懐かしさとモダンさがほどよく混ぜ合わさった感じの陶器に大いに心惹かれたが、用事のついでにあわただしく立ち寄ったせいであまりゆっくり拝見できず残念。じつはピサンキ作品も、思っていたよりはお手頃価格で入手できることがわかったので、次の機会にはぜひじっくりと選んで、ひとつは手に入れてみたいと思う。